2012年2月アーカイブ
2012年2月22日 10:00
幸福な若者による若者論に意味はあるのか
『絶望の国の幸福な若者たち』
著者: 古市 憲寿
出版社: 講談社
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 4062170655
ISBN-13: 978-4062170659
出版社: 講談社
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 4062170655
ISBN-13: 978-4062170659
2月10日午後の神保町交差点。見たくない光景を見た。道端に座り込んだ若い男がダンボールの切れ端を掲げている。そこには黒マジックで「コネをください」と書いてある。岩波書店本社ビルのすぐ近く。意図するところは明らかだが、そこで提示されている情報は以下の通り。男は大学以上の学歴を有し、おそらくは東京近郊に住み、出版系マスコミ業界のヒエラルキーのトップに位置する岩波書店に入社したがっている。しかしコネがない。あるいは批判の意味で座り込んでいる。あるいは2ちゃんか何かのオフ会。あるいは行動するネット右翼あるいは左翼。わたし(50歳、東京都)は世間的に多少有名な文芸評論家(67歳、東京都)と並んでその光景を見た。彼はその男が可哀想だと涙していた。上記いずれの状況にせよ、若者の心根の切なさに彼は同情していたのである。
一方、わたしは(自分も含め)なぜ中高年は自分自身の世代より、若者のことが気になるのだろうかと、ぼんやり考えていた。もちろん、座り込んだ野郎の浅ましさに嫌悪感を充満させながら。
じつはこの『絶望の国の幸福な若者たち』を読み終えたのはかなり前のことである。若者論の歴史が面白かった。論者の当時の年齢と出身地がすべて括弧内に記載されているのが新鮮だった(上記括弧内はこの本の真似)。
しかも、内容に大きな疑問符をつけながらも、なぜか最後まであっという間に読み通せた。おそらく、文章がとびきりうまいからである。最近の社会学者は昔と違ってどんどん筆が達者になってきているが、この若い著者(26歳、東京都)はピカイチ。やさしく面白く書くコツを知っている。だからこそ、ここでご紹介申し上げたのでゴザイマス。しかし、ほめるのはここまで。あとはちょっと批判。
この本には書評がすでに数多く出ている。そのほとんどには「若者はかわいそうだ」という論調が後を絶たぬ風潮に、「今の若者はけっこう幸福」と真っ向から反論した、という要約が書いてある。だが……考えてみてほしい。バブルを知らないロスジェネ世代はかわいそう。本当にそんな決めつけをした論文が存在したのか。
少なくともこの本にはニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさん(44歳、アイオワ州)の口頭の質問しか実例としては採り上げられていない。「日本の若者はこんな不幸な状況に置かれているのに、なぜ立ち上がらないんですか?」その質問の主体は「不幸」ではなく「立ち上がらない」ことであった。
そしてこの駆け出しの社会学者の、ロスジェネ世代は不幸ではないという情報は誰に向けて発信しているのか。若者自身に向けてだろうか。彼らはそんなことを気にするほど暇ではないだろう。中高年が対象だろうか。いや、われわれは若者が幸福だということはとうに知っている。自分が若い頃になかったパソコンやスマホ、DVDやシネコンが今はあるという理由ではない。日本中の求人は35歳で断ち切られており、年齢差別の直撃を食らっているのは他ならぬ中高年だからである。その証拠にハローワークに20代の姿は皆無である。行き場をなくした中高年はコンビニ経営して破産するか、タクシーの運転手になるしかない。これは差別的表現でも何でもなく、現実にそうなのである。「絶望の国」の主語は若者ではない。中高年が絶望しており、そこに幸福な若者も住んでいるのだ。岩波書店の前に座り込むほどに幸福な連中。
前提の第一歩からラストまで勘違いに溢れた本だが、なかでも笑えるのは、著者が「ムラムラ(村々)」するのが若者の幸福の正体だ、「今、ここ」の身近な幸せ、「コンサマトリー」(自己充足的)こそが最高だと言い募る箇所である。 若者だけ? フザケルナ。 「目的達成のために邁進する」のを若者は幸福だと感じない、だって。「邁進する」なんて疲れることを好む奴がいるか。いるわけない。仕事だからやるしかないのであって、目的のために邁進すること自体に幸福を感じる奴がいるとしたら、そいつは間違いなく病的な状況にあるのだ。『アンナ・カレーニナ』の一行目を読め。さまざまなのは不幸だけで、幸福(な家庭)は一様なのだ。
わたしがここでオススメ本をご紹介申し上げるのは31回目だが、ここまで文句を垂れたのはかつてないことである。だが実はその時点で著者のいう、若者論の魔力にわたしも取り込まれているのかもしれない。まあイチャモンの直接の理由は、この本自体というより、コンサマトリーに座り込む若い男を目撃したことにあるのかもしれないが。
本書には最後に凄いモノが隠されている。俳優の佐藤健(22歳、埼玉県)へのインタビューが掲載されているのだ。 幸福な若者代表という意味あいだろうが、そんなことはどうでもよく(実際、インタビュー内容はしょぼい)、まさに売れっ子代表をよくぞつかまえてきたという感じ。著者の力か、担当編集者の力か、講談社という大出版社の力か知らないが、社会学の本でこんな芸当ははじめて見た。またこのアイドルの写真をいっさい掲載しないという禁欲ぶりにも感心したのである。
2012年2月22日 10:00
名門大学の面接試験問題です
『あなたは自分を利口だと思いますか?』
オックスフォード大学・ケンブリッジ大学の入試問題
オックスフォード大学・ケンブリッジ大学の入試問題
著者: ジョン・ファーンドン 小田島恒志・小田島則子: 訳
出版社: 河出書房新社
参考税込価格: 1,680円
ISBN-10: 4309205836
ISBN-13: 978-4309205830
出版社: 河出書房新社
参考税込価格: 1,680円
ISBN-10: 4309205836
ISBN-13: 978-4309205830
オックスフォード、ケンブリッジと言えば、イギリスのみならず、世界に冠たる名門大学。イギリスでは共通試験(これが難解で、すべて論述)で必要な成績を取れば、だいたい大学へ入学できるが、この二つの名門大学ではさらに面接試験がある。そこでは君は何を勉強するのか、今までどんな勉強をしてきたのかといった通り一遍のことは訊かず、この本にあるような難題を問いかける。ここでは60題を掲げて、著者だったらこんな風に答えると模範解答らしきものを提示する。しかし模範解答などないような質問である。たとえばケンブリッジの歴史学専攻では、「歴史は次の戦争をとめ得るでしょうか」と尋ねる。曖昧な質問だが、そこがポイント。まともに答えれば「歴史には次の戦争をとめる能力があるか」の意味だと判断して、そんな能力など歴史にはないと答えることになるが、それではだめなのである。だって歴史自体にそんな能力がないのは自明だからだ。「歴史から得た教訓を生かせば戦争勃発の可能性を減らせるか」という質問として捉えれば、いろいろな答えが可能になる。
もう一つ。オックスフォードの物理学専攻。「世界に砂粒はいくつありますか」。アルキメデスにまでさかのぼる由緒ある問題だそうだが、こんなのにまともな答えを出せるとは思わないから、物理学など専攻しなくてよかった。でも解答を見ていると、いろいろな手を使って計算しているのである。すごいものです。
要するに頭の回転、当意即妙の答えを出せる能力、あるいは詭弁を駆使する力が問われていると言ってもいい。考えてみれば、欧米の議論はこれらに尽きるのである。まじめな日本人が太刀打ちできないのも、むべなるかな。でも、入学試験シーズンで砂を噛むような日々を送っていたわたしには一服の清涼剤だった。
2012年2月15日 10:00
終わりなき「考える喜び」の旅
『哲学オデュッセイ』
挑発する21世紀のソクラテス
挑発する21世紀のソクラテス
著者: リヒャルト・ D・プレヒト、訳者: 西上 潔
出版社: 悠書館
参考税込価格: 2,520円
ISBN-10: 4903487512
ISBN-13: 978-4903487519
出版社: 悠書館
参考税込価格: 2,520円
ISBN-10: 4903487512
ISBN-13: 978-4903487519
430ページ、数日間夢中になって読みふけってしまった。本書は現代にあって文字通り〝考えられうる〝根源的な問いかけをふんだんに用意し、興味深く、わかりやすく説いた哲学入門の本。ふだん哲学関係の専門書をよく読んでいる方は、(〝わかりやすさ〝自体への警戒も含めて)もっと批判的に読むのだろうが、自分はそうではないので、入門書ならではの本書の〝仕掛け〝に充分、満足した。本書の〝仕掛け〝とはまず、様々な問いかけを、ある出来事の〝場所〝と結びつけて語っている点。著者自身の要約でいえば、「この旅は、デカルトが農家の一室で近代哲学を打ち立てたウルムへ、イマヌエル・カントが暮らしたケーニヒスベルクへ、もっとも幸せな人々が暮らしているといわれるバヌアツ共和国などへと向かう」。以上の場所は、登場する魅力的な「旅」の、ほんの一部。しかも、それらの「旅」の描写に、歴史情報番組の再現映像のようなあざとさはない。「これは哲学史の本ではない」。自在に時空を超えながらも、切実な問い(自由・愛・自己・善・正義・安楽死・クローン・神・自然保護・幸福……)を読者に投げかけ、〝考える〝楽しみへと誘う、したたかな本である。
もう一つの〝仕掛け〝は、「実践的な学問の領域において、それぞれかなり離れた書棚のまったく異なるファイルに入っている」理論や見解を、巧みに関連づけている点。具体的には、脳科学・生物学・人類学などの知見を、存分に活用しているということ。とはいえ、〝伝統的な哲学〝が時代遅れだから、これら〝最先端の科学〝に依存する、というのではない。確かに20世紀のある時期の心理学のように、21世紀の脳科学は、人間のあらゆる悩みを解決に導くかのように期待されている。だが著者は、脳に起因する分泌物や諸活動をあきれるほど平易に(1枚の図版もなしに!)説明しつつも、「哲学の助けを借りずに、はたして脳科学で何かをはじめられるか」と、問いかけなおすのである。
以上の〝仕掛け〝は相互に補完し合い、静的なチャプターというより、動的なマトリックスを形成している。なぜなら、各々の章は(あるいは「旅」は)それ自体完結しながら、それぞれが問いと答えを産み出し続けるからである。混沌を回避する構成と手際も見事だ。そもそも本書は、第I部「私は何を知ることができるか?」、第II部「私は何をなすべきか?」、第III部「私は何を望んでよいのか?」という大きな三部から成るが、そこにそれぞれ複数のマトリックスが、等価的に配置されているのである(だいたい、原題〝Wer bin ich - und wenn ja wie viele〝 Eine philosophische Reise〝[私はだあれ―しからば、どれほど? ある哲学の旅]にも、等価性は暗示されているように思える)。
「三部」の由来は、カント『論理学』。著者は自国の大哲学者に敬意をはらい、最も多く言及しながら、常に現時点からの批判を忘れない。つまり哲学とは、特定の経典への盲信(または弾劾)ではなく、発生の原点にたち返った(固有の信仰や教条から解放された)〝問いかけそのもの〝であることを、フラクタルに語り続けているといっていい(邦訳の副題は、それに共鳴した編集者の配慮に違いない)。ちなみに、最終章の問いかけは「人生に意味はあるのか?」。つまり、究極の問い。この問いを始めるにあたって著者は、映画「マトリックス」から巧妙な引用を行ない、クライマックスを彩っている。
さらに本書が魅力的なのは、著者がちりばめたユーモアと、それを自然な日本語に置き換えた訳者の表現力。走り過ぎない諧謔と衒学に陥らない訳文は、翻訳書を心地よく読む際の不可欠の要素だと信ずるが、本書では、そのバランスとリズムが絶妙。なお、「訳者あとがき」によれば、邦訳刊行時に原書は100万部を超えていたとのこと。〝哲学の王国〝ドイツは今なお健在、ということだろうか。
2012年2月15日 10:00
小学六年生が発した「みんなで話し合う」ための提言
『僕のお父さんは東電の社員です』
小中学生たちの白熱議論! 3・11と働くことの意味
小中学生たちの白熱議論! 3・11と働くことの意味
編者: 毎日小学生新聞
著者: 森達也
出版社: 現代書館
参考税込価格: 1,470円
ISBN-10: 4768456715
ISBN-13: 978-4768456712
著者: 森達也
出版社: 現代書館
参考税込価格: 1,470円
ISBN-10: 4768456715
ISBN-13: 978-4768456712
昨年3月27日付「毎日小学生新聞」に、「東電は人々のことを考えているか」と題した北村龍行氏(経済ジャーナリスト・元毎日新聞論説委員)のコラムが掲載された。そのコラムへの反論として、編集部に一通の手紙が届く。書いたのは、父親が東電の社員である、小学六年生の「ゆうだい君」(仮名)だ。ゆうだい君は、北村氏も含めすべての日本人が「夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり」しているのに、「危険もある原子力発電や、生活に欠かせない電気の供給を(東電に)まかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と発言する北村氏は「無責任だ」と言って反論した。しかし、ゆうだい君の手紙の力は、この反論にあるのではない。さらにその後、こう投げかけたことが、本書が生まれるきっかけを作る。「こういう事態こそ、みんなで話し合ってきめるべきなのです」。
編集部が5月18日、ゆうだい君の手紙を掲載して全国の子どもたちに意見を募集すると、小中学生のみならず、大学生や大人からもさまざまな意見が数多く寄せられた。こうして寄せられた手紙とともに、映画監督でノンフィクション作家の森達也氏が、一連の動きを受けて子どもたちに発したメッセージで構成されているのが、本書である。メッセージのタイトルは「僕たちのあやまちを知ったあなたたちへのお願い」。
森氏のメッセージのなかで核となる言葉に、「同調圧力」がある。決して一般的な言葉だとは言えないが、「教室とか会社などの集まりの中で、他の大勢の人たちと同じようにふるまったり考えたりしないと気まずく感じてしまう重苦しい雰囲気」という脚注を付けて、わざわざ紹介している。
たとえば、原発神話が日本で形作られていった背景にも、この「同調圧力」がある。原爆(広島・長崎)と水爆(第五福竜丸に代表される漁船)両方の被害を知る、世界で唯一の国であった日本が、国策として原発を受け入れていく戦後の過程は、「同調圧力」の存在なしには説明できない。一人で冷静に考えれば「ありえないよ、そんなこと」と思う危険なことでも、多くの人が同じこと(「平和利用だ」「日本は資源のない国だから原子力が必要だ」)を言ったりすると、どうしてもその集団の動きに従ってしまう。同調圧力が悲惨をもたらしたのは原発だけではない。ナチスによる大虐殺や公害問題でも、同じである。
森氏は自らを含めた大人に批判の矛先を向けながら、「同調圧力」に屈することの恐ろしさを丁寧に説明していく。そしてこの「同調圧力」こそ、ゆうだい君が提案する「みんなで話し合ってきめる」場の成立を邪魔する正体であることを示す。森氏がいう「僕たちのあやまち」とは、同調圧力に屈し続けてきた私たち大人自身の責任を指すだろう。
ゆうだい君の訴えと北村氏の論旨が最終的にはほぼ同じ地点を目指していることを明らかにしながら、子どもたちへ向けて発せられた森氏の言葉一つひとつが、自分自身にも向けられていることを再認識させられる。
2012年2月 9日 10:10
危うし!「水の惑星」
『水は世界を支配する』
著者:スティーブン・ソロモン
訳者:矢野真千子
出版社: 集英社
参考税込価格: 2,100円
ISBN-10: 4087734757
ISBN-13: 978-4087734751
訳者:矢野真千子
出版社: 集英社
参考税込価格: 2,100円
ISBN-10: 4087734757
ISBN-13: 978-4087734751
水というときまず思い浮かぶのは飲み水などの水道の水だが、田んぼの水などの農業用水、工業・鉱業で使う産業用水、水力発電などのエネルギー、さらには河川・海上での輸送など、水は人間の生活に欠かせない自然資源である。
人間の身体の70%は水でできていて、成人の場合1日2~3リットルの水分を必要とする。体内の水分が1%不足するだけでのどが渇き、5%が不足すると発熱、12~15%が不足すると1週間後には死亡するという。また地球の70%も水でできているが、そのうち液体の淡水は2.5%、その3分の2は高山・極地の万年雪か氷河で、残り3分の1の大部分も地下の帯水層の水(太古からの化石水)で、地表にある淡水は全淡水量の1%の10分の3以下だという。つまり、人間が使える水は驚くほど少ないのだ。この本を読んで、こうしたデータに圧倒された。
水の文明史ともいうべき本で、まず古代四大文明の治水をたどる。エジプト文明のナイル川、メソポタミア文明のチグリス・ユーフラテス川、インダス文明のインダス川、黄河文明の黄河は、いずれも洪水を繰り返す大河だった。しかし洪水で運ばれるシルト(沈泥)は土地を豊かにする。古代国家は大規模な灌漑によって大河の水を食糧生産に結びつけ、また大河を使った交易で莫大な富を得た。ついで海の通商がミネア文明、ミュケナイ文明、古代ギリシア文明、ローマ文明と続く地中海世界の繁栄をもたらした。海上での覇権は、その後べネチアやジェノバなどの海洋共和国を経て、大航海時代のスペイン、ポルトガル、近代のオランダ、大英帝国へと引き継がれてゆく。「水を制するものは世界を制する」のである。
ワットによる蒸気機関の発明から進展した産業革命の時代、イギリスでは奥地の石炭を運んでくるために内陸運河の建設がブームになった。イギリスに続いて覇権国家となったアメリカの原動力の一つは治水で、大陸の東半分でミシシッピ川やその他の川を活用し、雨のない西部に水をひき、そして太平洋と大西洋を結ぶ航路(パナマ運河)を開いた。この本を読んで気づいたのだが、1776年イギリスとの独立戦争に勝利した当時のアメリカはミシシッピ川から東の部分だけの領土で、今日の大国のイメージはまったくなかった。ルイジアナをフランスから買収したのは1803年、スペインからフロリダを譲渡されたのは1819年、テキサスを併合したのは1845年で、1853年のペリーの黒船来航時はやっと国のかたちが整ってきた時期だったのだ。
独立以後のアメリカの水運革命は目覚しかった。1825年には5大湖と大西洋を結ぶエリー運河が開通、1850年のミシシッピ川流域の蒸気船の輸送量は大英帝国全体の貨物輸送量と並ぶまでになった。さらに20世紀になって、1936年にはコロラド川に巨大多目的ダムのフーバー・ダムが完成する。しかし水は無限にあるわけではない。ダムの建設によって、コロラド川下流のメキシコでは川の水が海まで届かなくなった。水の塩分濃度も上がって、使い物にならないという。地球には、地表の水の100倍もの水が帯水層に閉じ込められているが、第二次大戦後、アメリカでは中部大平原地帯の地下深くにあったオガララ帯水層の水を穀物栽培のためにくみ出し続けてきた。帯水層の水は使い切ったらそれでおしまいである。テキサス州とカンザス州では2020~30年にはこの帯水層の水が枯渇すると予想されているという。
著者によれば20世紀の100年間で水の使用量は9倍になり、水不足は世界に広がっている。イスラエルとアラブ諸国の中東紛争の原因にはヨルダン川の水の争奪戦の面もあるという。アジアの巨人インドと中国も深刻な水不足に直面している。インド全体の5分の3世帯にあたる6億5000万人が飲み水に水道の水が使えない状態だ。人口の3分の2に当たる7億人がトイレのない家に住んでいる。都市の下水は10%以下しか処理されず、生の下水がガンジス川などに流れ込む。中国も1人あたりの使用可能な水の量は世界平均の3分の1しかない。中国がチベットの領有にあれほどこだわるのは、黄河や揚子江、メコン川やサルウィン川などのアジアの大河の源がチベット高原にあるからで、自国の水源を確保するためと東南アジア諸国の水源を押さえるためだという。しかしそのチベット高原の氷河は2035年には相当部分が溶けてしまい、三峡ダムも、中国北部へ3本の送水路で揚子江の水を送ろうという南水北調プロジェクトもすべて無駄になるとの予測もあるらしい。
水をめぐる問題は決してひとごとではない。石油と同じようにこのままでは地球の水もいつか枯渇してしまう。今後どう水をまもり、管理していくか、ほとんどが水でできている人間がほんとうに知恵を絞らなければならない時期に来ているようだ。
(ページ数の関係か、この本の脚注と参考文献は本には収録されず、ウェブサイトでのみ掲載されている。デジタル・デバイドの観点からするとどうなのか、考えさせられた。)
人間の身体の70%は水でできていて、成人の場合1日2~3リットルの水分を必要とする。体内の水分が1%不足するだけでのどが渇き、5%が不足すると発熱、12~15%が不足すると1週間後には死亡するという。また地球の70%も水でできているが、そのうち液体の淡水は2.5%、その3分の2は高山・極地の万年雪か氷河で、残り3分の1の大部分も地下の帯水層の水(太古からの化石水)で、地表にある淡水は全淡水量の1%の10分の3以下だという。つまり、人間が使える水は驚くほど少ないのだ。この本を読んで、こうしたデータに圧倒された。
水の文明史ともいうべき本で、まず古代四大文明の治水をたどる。エジプト文明のナイル川、メソポタミア文明のチグリス・ユーフラテス川、インダス文明のインダス川、黄河文明の黄河は、いずれも洪水を繰り返す大河だった。しかし洪水で運ばれるシルト(沈泥)は土地を豊かにする。古代国家は大規模な灌漑によって大河の水を食糧生産に結びつけ、また大河を使った交易で莫大な富を得た。ついで海の通商がミネア文明、ミュケナイ文明、古代ギリシア文明、ローマ文明と続く地中海世界の繁栄をもたらした。海上での覇権は、その後べネチアやジェノバなどの海洋共和国を経て、大航海時代のスペイン、ポルトガル、近代のオランダ、大英帝国へと引き継がれてゆく。「水を制するものは世界を制する」のである。
ワットによる蒸気機関の発明から進展した産業革命の時代、イギリスでは奥地の石炭を運んでくるために内陸運河の建設がブームになった。イギリスに続いて覇権国家となったアメリカの原動力の一つは治水で、大陸の東半分でミシシッピ川やその他の川を活用し、雨のない西部に水をひき、そして太平洋と大西洋を結ぶ航路(パナマ運河)を開いた。この本を読んで気づいたのだが、1776年イギリスとの独立戦争に勝利した当時のアメリカはミシシッピ川から東の部分だけの領土で、今日の大国のイメージはまったくなかった。ルイジアナをフランスから買収したのは1803年、スペインからフロリダを譲渡されたのは1819年、テキサスを併合したのは1845年で、1853年のペリーの黒船来航時はやっと国のかたちが整ってきた時期だったのだ。
独立以後のアメリカの水運革命は目覚しかった。1825年には5大湖と大西洋を結ぶエリー運河が開通、1850年のミシシッピ川流域の蒸気船の輸送量は大英帝国全体の貨物輸送量と並ぶまでになった。さらに20世紀になって、1936年にはコロラド川に巨大多目的ダムのフーバー・ダムが完成する。しかし水は無限にあるわけではない。ダムの建設によって、コロラド川下流のメキシコでは川の水が海まで届かなくなった。水の塩分濃度も上がって、使い物にならないという。地球には、地表の水の100倍もの水が帯水層に閉じ込められているが、第二次大戦後、アメリカでは中部大平原地帯の地下深くにあったオガララ帯水層の水を穀物栽培のためにくみ出し続けてきた。帯水層の水は使い切ったらそれでおしまいである。テキサス州とカンザス州では2020~30年にはこの帯水層の水が枯渇すると予想されているという。
著者によれば20世紀の100年間で水の使用量は9倍になり、水不足は世界に広がっている。イスラエルとアラブ諸国の中東紛争の原因にはヨルダン川の水の争奪戦の面もあるという。アジアの巨人インドと中国も深刻な水不足に直面している。インド全体の5分の3世帯にあたる6億5000万人が飲み水に水道の水が使えない状態だ。人口の3分の2に当たる7億人がトイレのない家に住んでいる。都市の下水は10%以下しか処理されず、生の下水がガンジス川などに流れ込む。中国も1人あたりの使用可能な水の量は世界平均の3分の1しかない。中国がチベットの領有にあれほどこだわるのは、黄河や揚子江、メコン川やサルウィン川などのアジアの大河の源がチベット高原にあるからで、自国の水源を確保するためと東南アジア諸国の水源を押さえるためだという。しかしそのチベット高原の氷河は2035年には相当部分が溶けてしまい、三峡ダムも、中国北部へ3本の送水路で揚子江の水を送ろうという南水北調プロジェクトもすべて無駄になるとの予測もあるらしい。
水をめぐる問題は決してひとごとではない。石油と同じようにこのままでは地球の水もいつか枯渇してしまう。今後どう水をまもり、管理していくか、ほとんどが水でできている人間がほんとうに知恵を絞らなければならない時期に来ているようだ。
(ページ数の関係か、この本の脚注と参考文献は本には収録されず、ウェブサイトでのみ掲載されている。デジタル・デバイドの観点からするとどうなのか、考えさせられた。)
2012年2月 9日 10:00
オルタナティブな近代
『愚民社会』
著者: 大塚英志、宮台真司
出版社: 太田出版
参考税込価格: 1,680円
ISBN-10: 4778312910
ISBN-13: 978-4778312916
出版社: 太田出版
参考税込価格: 1,680円
ISBN-10: 4778312910
ISBN-13: 978-4778312916
今をときめく「AKB48」のメンバー八人が、「頑張って」という応援メッセージを、一人ずつ交代で、ツイ―トをリレーでもするように語りかけるテレビCMがある。広告主は、とある大手の家庭教師派遣会社。どうやら大学受験生をメイン・ターゲットにしたコマーシャルのようで、AKBの彼女たちは、架空の家庭教師、または受験生仲間、あるいは応援するガールフレンドなどを思い思いに演じているとみえる。「頑張って」と異口同音に連呼される言葉には、「絆」と同じく、3.11の厄災以来、日本の社会に何のためらいもなく定着してしまったお約束の掛け声を拝借する、意識的な演出の臭いがする。
最初のうちは、若い無邪気な女の子たちに、「頑張って」などとストレートに言われたら、受験生ならずともメロメロだなどと、他愛もない感想が浮かんだが、さすがにすぐに自力で打ち消した。3.11のことを考えると、頑張るしかない状態にある人々がいまなお多数存在することを思い出し、その人たちが混じる不特定多数の視聴者に向かって、商売気分で「頑張って」と呼びかける紋切り型の無神経さに、ついからだが引けるのを感じたのである。
この国に蔓延する「空気」に対する能天気な盲従ぶり、どころか、積極的で手前勝手な利用ぶりに、遅ればせながら反発のムシが騒いだと言ってもいい。それにしてもレディメイドの画一的な「励まし」が、個別の悲劇に見舞われた耳にも届くとなぜ決めつけることができるのか。見せかけの善意に隠された無神経な傲慢さが、当事者の自覚のないままにまた一つ再生産されている……。
本書はそんな無批判な追従を支える日本の反近代的「風土」、誰がつくるのかさえ不明なままの不思議な「空気」に、それぞれの観点で、懲りることなく異を唱え続けてきた二人のタフきわまる論者の、時を隔てた三つの対談からなっている。「アイロニカルな構造自体を示したい」(2004年)と「歴史を忘却する装置としての象徴天皇制」(2003年)という近過去に行われた2本と、3.11後に行われた「全ての動員に抗して――立ち止まって自分の頭で考えるための『災害下の思考』」と題する計3本だ。オビに使われた二人の写真の、まるで「引きこもり」を思わせる表情と、「日本は既に終わっていた!」という奇を衒った過激なキャッチ・コピーが、「こいつら、どうやら本気だぞ」と思わせて妙に生々しい。
読む前に感じたその「どうやら」が、読んだ後に確信めいたものに変わるのは、震災後の直近の1本。ここでは「自分の頭で考える」ことの必要と不在がこれでもかという勢いで語られ、不在のままの「愚民社会」を放置してきた近代日本に対するそれぞれの苛立ちが、最近の国際環境の抜き差しならぬ激動に反応して化学変化を起こし、異なる立場に立っていたはずの二人に共通の、攻撃的な共通の諦念に変わっていく様子が、それぞれの具体例を交えて、かなり詳細に語られている。
曰く、『必要なのは「哲学」とか「思想」じゃなくてそれを内側から発生させるための「カリキュラム」なんです』(大塚)。曰く、『ぼくは「自意識の問題」と「社会の問題」を混同するな、「社会」と「実存」を区別せよと、繰り返し述べてきた』(宮台)。しかし、あるべき『オルタナティブな近代』(宮台)を手に入れることができないまま、いまや茫然として『アジア(の国々)に内在する「近代の可能性」に嫉妬しているとしか思えない』(大塚)この国、日本のていたらく……。
本書には、この際「日本の最後」を見届け、書きとめるしかないという屈折した情熱がある。二人の情熱は、ことによると逆立ちした「愛」なのかもしれない。この国には『「死者」を美化するという冒涜がある』(大塚)と『内在する倫理』(宮台)という言葉が、とりわけ身に沁みた。
2012年2月 2日 10:00
3つのアクションと3つの要素
『はじめての編集』
著者: 菅付雅信
出版社: アルテスパブリッシング
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 4903951480
ISBN-13: 978-4903951485
出版社: アルテスパブリッシング
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 4903951480
ISBN-13: 978-4903951485
編集とは言っても、私のような人文書の編集だけをしてきたのとは、まったく世界が違う。著者は『月刊カドカワ』や『エスクァイア日本版』などの編集部を経て独立、『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』『リバティーンズ』の編集長を務める、と略歴にある。「務める」と現在形で書かれているが、どの雑誌も見たことがないどころか、聞いたこともないので、今現在のことかどうかはわからない。編集した書籍もあがっていて、中では竹尾ペーパーショウの本、『PAPERSHOW』だけ、神保町交差点の信山社で見たことがある。紙の見本帳のような本だが、ぱらぱらめくるとワクワク感が湧き起ってきて、素晴らしい本だと思った印象がある。それにしても、これだけ知らない本が並ぶと、編集の世界はじつに広いという感慨に打たれる。ま、たんに私の世界が狭いだけなのだが。ではそういう人が説いた編集についての本は、世界が違いすぎてついていけないかというと、そんなことは全然なくて、実に面白い。何よりこの本が、たぐいまれな、見事に編集された本なのである。著者の編集論には、考え抜かれた明快な原理がある。「編集とは企画を立て、人を集め、モノを作ること」であり、それは「言葉とイメージとデザインの3つの要素を駆使したアンサンブルである」。つまり「3つのアクションと3つの要素」から、世界中の編集物は生まれている。本書はこの3つの要素、すなわち言葉、イメージ、デザインを中心に組み立てられている。といえばおわかりの通り、論じられる素材は雑誌である。そして驚くべきことに、論じられる雑誌のほとんどすべてを、図版で見せるのである。
この3つの要素を論じた中では、イメージ論とデザイン論、特にデザイン論が卓見に満ちていて素晴らしい。「言葉やイメージをどのような形式で受け手に届けるかを考えるだけでなく、どのような形式がコミュニケーションを促すのかを考えることがデザインなんだ」、あるいは「言葉とイメージをまとめて世界観を作り上げること、それが編集におけるデザインの重要な役割で、編集はデザインを持って初めて完成するのです」。似たようなことを言う人はいるが、本の形でこれほど巧みに、説得力を持って言い切れる人は少ない。
イメージ論の章は、方法としての「挑発」や「引用」を語って王道をゆくオーソドックスさだが、付された図版がデミ・ムーアの妊婦ヌードや、精液を飲むように牛の乳を絞る女性、あるいはレオ・レオーニの『あおくんときいろちゃん』など、挑発的であったり、意表を突くものが多く、見ていて実に楽しい。
終わりの方のウェブを論じた章で、これからは人の生のあらゆる側面が可視化され、才能のある人は「人生を作品化」してゆくことになる、「なによりあなた自身がメディアになれる、それが21世紀なのではないか」というあたりが、著者の真骨頂だろう。
こういう、最先端で世界を相手に仕事をしている(らしい)人の本を読むと、面白いだけでなく、自分の仕事についても、つくづく考えさせられる。ともかく自分の場所に沈潜するほかないな、と。かつて坪内祐三さんの『後ろ向きで前へ進む』という本があったが、それにならって言えば、姿勢だけは前を向いているが、そのまま後ろに猛然とダッシュするような気分である。もちろん、これでこけないことは非常に難しい。
2012年2月 2日 10:00
忘れてはならない、風化させてはならない
『私たちは原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。』
著者: 飯田哲也ほか
出版社: ロッキング・オン
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 4860521048
ISBN-13: 978-4860521042
出版社: ロッキング・オン
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 4860521048
ISBN-13: 978-4860521042
新聞やテレビ報道から原発関連の記事が少なくなってきた気がする。このまま風化してしまうのであろうか。危惧を感じる。怒りをすぐ忘れてしまうのは、私たちの悪い癖である。それに代わって感動の物語が流されている。「絆」が横行し、東北人の努力や頑張りが賞賛される。もちろんそれ自体すごいと思うが、原発事故への追及が忘れられていいはずがない。
再稼働をめぐっての安全評価に関する専門家会議委員を、実際の原子炉を製造している三菱重工業から多額の寄付を得ている岡本孝司東大教授が務めているという報道にはあきれた。斑目安全委員会委員長にも、同じような寄付金疑惑があるという。しかし、だれも辞める気配がない。メディアの追及もとても甘い。なぜなのであろうか。
こういう呆れた状況をなんとか変えたいという人々(飯田哲也、上杉隆、内田樹、江田憲司、貝沼博、小出裕章、古賀茂明、坂本龍一、高橋源一郎、田中三彦、藤原帰一、保坂展人、丸山重威、和田光弘の14人)にインタビューしたものが本書である。「SIGHT」夏・秋号に掲載されたインタビューを単行本化したものだが、原発がいかに日本そのものの問題であることがよくわかる。原発を考えることは、日本の戦後、日本の現在を俎上に載せることでもある。少しずつ意見は異なるのだが、彼らがそれぞれの立場で考え、発言し、実行していることに感銘を受けた。ぜひ、読んでもらいたい。コメントの一部を抜粋してみよう。
今回のことで、明るみに出たのは、アカデミズム、特に東大の犯罪性ね。とんでもないね。僕は今、あんまりアカデミズムには関係ない生活をしているから、ここまで頽廃してるってこと知らなかったんだけど。(坂本龍一)
発送電分離をしないと、今のような世界一高いレベルの電気料金で、産業競争力が養えるわけがない、というのはみんなわかっている。だけどそれを実現しようとすると、通産省の人事にまで影響力を持っている電力会社の不興を買って、飛ばされてしまいますからね。(江田憲司)
電力会社は、何よりも安定供給が重要だから、無尽蔵に資源、コストをかけていくという体質ができたんです。もちろん、わざと無駄遣いをする必要はないのですが、無駄を削るインセンティブがないんですよ。その最大の原因は、総括原価方式と公正報酬率という仕組みです。総括原価方式というのは、かかったコストはすべて電気料金としてカウントできますという仕組みです。さらに公正報酬率といって、発電所など、投資をして保有する資産の3%くらいを利益として上乗せすることができるんですね。だから利益を増やすためには、コストを増やしたほうがいいわけです。(古賀茂明)
脱原発を目指すにしろ、あるいは今の状況を踏まえてもなお推進を目指すにしろ、現状を変えて自分たちの理想を実現するためには、地方をどうするかということを考えないと、先に進まないよ。ということを申し上げたい。(貝沼博)
震災の直後、原発事故による放射能汚染の警告は、政府がしなかっただけでなく、マスメディアも嫌ったのですね。(藤原帰一)
核納容器マークI型(福島原発と同じもの)に欠陥があるというGE元技術者の証言があった。日本には福島を除いてもそれと同型のものが10基ある(田中三彦)。しかし、調査委員会もそこには触れようとしない。国の描く津波原因説のストーリー(核納容器は地震に耐えていた)が壊れるからである。メディアも同様である。しかし、本当に検証しなくていいのだろうか。
いまや「悪い事は起きてほしくない」という願いが「悪いことは起きない」という断定に入れ替わってしている(内田樹)。すでに厭戦気分(高橋源一郎)ともいうが、そんなことがあってはならない。その覚醒を本書は促している。くりかえし、自分の立場で原発事故を考えていこう。ついでにいえば、海外メディアによる福島の現状レポートである大沼安史『世界が見た福島原発災害』(緑風出版)もぜひ参照してほしい(続編も刊行された)流されている日本の報道が全面的には信用できない時代になってきたからである。
再稼働をめぐっての安全評価に関する専門家会議委員を、実際の原子炉を製造している三菱重工業から多額の寄付を得ている岡本孝司東大教授が務めているという報道にはあきれた。斑目安全委員会委員長にも、同じような寄付金疑惑があるという。しかし、だれも辞める気配がない。メディアの追及もとても甘い。なぜなのであろうか。
こういう呆れた状況をなんとか変えたいという人々(飯田哲也、上杉隆、内田樹、江田憲司、貝沼博、小出裕章、古賀茂明、坂本龍一、高橋源一郎、田中三彦、藤原帰一、保坂展人、丸山重威、和田光弘の14人)にインタビューしたものが本書である。「SIGHT」夏・秋号に掲載されたインタビューを単行本化したものだが、原発がいかに日本そのものの問題であることがよくわかる。原発を考えることは、日本の戦後、日本の現在を俎上に載せることでもある。少しずつ意見は異なるのだが、彼らがそれぞれの立場で考え、発言し、実行していることに感銘を受けた。ぜひ、読んでもらいたい。コメントの一部を抜粋してみよう。
今回のことで、明るみに出たのは、アカデミズム、特に東大の犯罪性ね。とんでもないね。僕は今、あんまりアカデミズムには関係ない生活をしているから、ここまで頽廃してるってこと知らなかったんだけど。(坂本龍一)
発送電分離をしないと、今のような世界一高いレベルの電気料金で、産業競争力が養えるわけがない、というのはみんなわかっている。だけどそれを実現しようとすると、通産省の人事にまで影響力を持っている電力会社の不興を買って、飛ばされてしまいますからね。(江田憲司)
電力会社は、何よりも安定供給が重要だから、無尽蔵に資源、コストをかけていくという体質ができたんです。もちろん、わざと無駄遣いをする必要はないのですが、無駄を削るインセンティブがないんですよ。その最大の原因は、総括原価方式と公正報酬率という仕組みです。総括原価方式というのは、かかったコストはすべて電気料金としてカウントできますという仕組みです。さらに公正報酬率といって、発電所など、投資をして保有する資産の3%くらいを利益として上乗せすることができるんですね。だから利益を増やすためには、コストを増やしたほうがいいわけです。(古賀茂明)
脱原発を目指すにしろ、あるいは今の状況を踏まえてもなお推進を目指すにしろ、現状を変えて自分たちの理想を実現するためには、地方をどうするかということを考えないと、先に進まないよ。ということを申し上げたい。(貝沼博)
震災の直後、原発事故による放射能汚染の警告は、政府がしなかっただけでなく、マスメディアも嫌ったのですね。(藤原帰一)
核納容器マークI型(福島原発と同じもの)に欠陥があるというGE元技術者の証言があった。日本には福島を除いてもそれと同型のものが10基ある(田中三彦)。しかし、調査委員会もそこには触れようとしない。国の描く津波原因説のストーリー(核納容器は地震に耐えていた)が壊れるからである。メディアも同様である。しかし、本当に検証しなくていいのだろうか。
いまや「悪い事は起きてほしくない」という願いが「悪いことは起きない」という断定に入れ替わってしている(内田樹)。すでに厭戦気分(高橋源一郎)ともいうが、そんなことがあってはならない。その覚醒を本書は促している。くりかえし、自分の立場で原発事故を考えていこう。ついでにいえば、海外メディアによる福島の現状レポートである大沼安史『世界が見た福島原発災害』(緑風出版)もぜひ参照してほしい(続編も刊行された)流されている日本の報道が全面的には信用できない時代になってきたからである。


