現実世界の不正義を削減するために
『正義のアイデア』
著者:アマルティア・セン 訳者:池本幸生
出版社: 明石書店
参考税込価格: 3,990円
ISBN-10: 4750334944
ISBN-13: 978-4750334943
出版社: 明石書店
参考税込価格: 3,990円
ISBN-10: 4750334944
ISBN-13: 978-4750334943
アマルティア・センは、ずいぶん前から気になっていた人だ。 capability という独自の概念によるアプローチがいろいろ議論を呼んでいる。「読みかじり」ではなく、一度ちゃんと読んでみないといけないと思っていた。
インド・ベンガル州に生まれ、イギリス・ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学んだ。1998年、ノーベル経済学賞を受賞したのだから、「経済学者」には違いない。だが、この本には(幸いにして)数式は一つも出て来ない。書名のように主題は「正義」である。
「正義」は、日本社会ではあまり人気のある言葉ではなかった。「正義の味方」は時代劇の世界の話で、現実世界で「正義」なんて言葉を口にしたら、「変わり者」に思われた。むろん、いまでも「正義」は世間一般の日常語ではない。だが、少なくとも議論の対象としての「正義」は流行とは言わないまでも、相当にポピュラーなテーマになっているように思う。マイケル・サンデルの「貢献」が大きいだろう。
残念ながら、そのサンデルはこの本には一回も登場しない。主に論じられているのは、ジョン・ロールズであり、繰り返し引証されるのは、アダム・スミスである。乱暴に言ってしまうと、この本はロールズが『正義論』(2010年に「改訂版」の訳が出た)で論じた「正義」実現のための「理論」を、アダム・スミスが『道徳感情論』の中で説いた「公正な観察者」の「アイデア」によって正そうとしたものである。
ロールズは功利主義に対してトマス・ホッブズに始まる社会契約論を再興することを目指して『正義論』を書いた。センは、そのホッブズからロールズに至るアプローチを「先見的制度尊重主義」と呼んで、批判する。それは「完全なる正義」のみに関心を集中し、現実の社会に目を向けないというのだ。
ロールズの場合で言えば、「原初状態」や「無知のヴェール」といった仮構をもとに、よく知られた「正義の二原理」を導出した。これに対して、センは「公正としての正義」を明確にしたロールズの功績を評価しつつ、ロールズ理論の全体を「想像の世界における正義の実現」を語ったものとして否定する。
『正義論』も「読みかじり」に過ぎないから、センのロールズ批判が的確かどうか私には判断できない。ただ、ロールズは「正義の二原理」に関して「反省的均衡」ということも言っているわけで、センの理解はいくぶん焦点をはずしている気がする。
とはいえ、この本で展開される「正義のアイデア」(「理論」ではなく)は説得的で魅力的だ。またまた乱暴に要約すると、センはどこかにある「完全なる正義」を追求するのではかなく(そんな「唯一の正義」はない、というのがセンの考え方だ)、私たちが現に生きている社会をよりよくしていくために(不正義を減らしていくために)、実現ベースでものを判断しましょう、と提案する。そこでは規範的な正義論ではなく、「比較」の視点が強調される。
では、どのように「より多い正義/より少ない不正義」を比較するのか。ここでのセンの提案は残念ながら、とびっきりの「妙案」というわけではない(むろん、そんな「妙案」はないのだが)。そこに登場するのが、スミスの「公平な観察者」である。人々の偏りのない、理にかなった討論を通じて、一歩一歩この世界に存在する不正義な状況を改善していく民主主義の実践が、そこでは求められている。
この「不正義な状況を改善していく」際に、ケイパビリティ・アプローチが重要になってくる。ふつう「潜在能力」と訳されているが、この本では原語をそのまま使っている。たしかに「潜在能力」には「日本語」としての独自の意味の広がりがあり、センがケイパビリティという言葉で語ったアプローチと隔たりが生じるおそれがあるだろう。ケイパビリティ・アプローチは、個々人の置かれた具体的状況を抜きにその個々人の暮らしの良さを判断することできないと考える。この観点からは、たとえば貧困は低所得としてではなく、個々人の価値ある生活の諸機能――ケイパビリティの欠如としてとらえられる。
マスメディアの重要な役割についてもふれられていて、大学で「ジャーナリズム」を教えている私の立場としては「わが意を得たり」の思いではあった。ただし、マスメディアの「現実」がセンの熱い期待に応えているかどうかとなると、残念ながら、懐疑的にならざるを得ないのだが。
インド・ベンガル州に生まれ、イギリス・ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学んだ。1998年、ノーベル経済学賞を受賞したのだから、「経済学者」には違いない。だが、この本には(幸いにして)数式は一つも出て来ない。書名のように主題は「正義」である。
「正義」は、日本社会ではあまり人気のある言葉ではなかった。「正義の味方」は時代劇の世界の話で、現実世界で「正義」なんて言葉を口にしたら、「変わり者」に思われた。むろん、いまでも「正義」は世間一般の日常語ではない。だが、少なくとも議論の対象としての「正義」は流行とは言わないまでも、相当にポピュラーなテーマになっているように思う。マイケル・サンデルの「貢献」が大きいだろう。
残念ながら、そのサンデルはこの本には一回も登場しない。主に論じられているのは、ジョン・ロールズであり、繰り返し引証されるのは、アダム・スミスである。乱暴に言ってしまうと、この本はロールズが『正義論』(2010年に「改訂版」の訳が出た)で論じた「正義」実現のための「理論」を、アダム・スミスが『道徳感情論』の中で説いた「公正な観察者」の「アイデア」によって正そうとしたものである。
ロールズは功利主義に対してトマス・ホッブズに始まる社会契約論を再興することを目指して『正義論』を書いた。センは、そのホッブズからロールズに至るアプローチを「先見的制度尊重主義」と呼んで、批判する。それは「完全なる正義」のみに関心を集中し、現実の社会に目を向けないというのだ。
ロールズの場合で言えば、「原初状態」や「無知のヴェール」といった仮構をもとに、よく知られた「正義の二原理」を導出した。これに対して、センは「公正としての正義」を明確にしたロールズの功績を評価しつつ、ロールズ理論の全体を「想像の世界における正義の実現」を語ったものとして否定する。
『正義論』も「読みかじり」に過ぎないから、センのロールズ批判が的確かどうか私には判断できない。ただ、ロールズは「正義の二原理」に関して「反省的均衡」ということも言っているわけで、センの理解はいくぶん焦点をはずしている気がする。
とはいえ、この本で展開される「正義のアイデア」(「理論」ではなく)は説得的で魅力的だ。またまた乱暴に要約すると、センはどこかにある「完全なる正義」を追求するのではかなく(そんな「唯一の正義」はない、というのがセンの考え方だ)、私たちが現に生きている社会をよりよくしていくために(不正義を減らしていくために)、実現ベースでものを判断しましょう、と提案する。そこでは規範的な正義論ではなく、「比較」の視点が強調される。
では、どのように「より多い正義/より少ない不正義」を比較するのか。ここでのセンの提案は残念ながら、とびっきりの「妙案」というわけではない(むろん、そんな「妙案」はないのだが)。そこに登場するのが、スミスの「公平な観察者」である。人々の偏りのない、理にかなった討論を通じて、一歩一歩この世界に存在する不正義な状況を改善していく民主主義の実践が、そこでは求められている。
この「不正義な状況を改善していく」際に、ケイパビリティ・アプローチが重要になってくる。ふつう「潜在能力」と訳されているが、この本では原語をそのまま使っている。たしかに「潜在能力」には「日本語」としての独自の意味の広がりがあり、センがケイパビリティという言葉で語ったアプローチと隔たりが生じるおそれがあるだろう。ケイパビリティ・アプローチは、個々人の置かれた具体的状況を抜きにその個々人の暮らしの良さを判断することできないと考える。この観点からは、たとえば貧困は低所得としてではなく、個々人の価値ある生活の諸機能――ケイパビリティの欠如としてとらえられる。
マスメディアの重要な役割についてもふれられていて、大学で「ジャーナリズム」を教えている私の立場としては「わが意を得たり」の思いではあった。ただし、マスメディアの「現実」がセンの熱い期待に応えているかどうかとなると、残念ながら、懐疑的にならざるを得ないのだが。
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