本当に「恋の丸ビル」だった!
『明治 大正 昭和 不良少女伝』
莫連女と少女ギャング団
莫連女と少女ギャング団
著者: 平山亜佐子
出版社: 河出書房新社
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 430924498X
ISBN-13: 978-4309244983
出版社: 河出書房新社
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 430924498X
ISBN-13: 978-4309244983
つまり四半世紀以上前、某新聞社の「少年」(バイト学生の意)として日夜働いていた。一番多かったのが丸ビルへのお使いである。ショッピングモールを展開する1階はまだしも、上層階ともなれば日中の廊下でも人はまばら。閑散としていた。夜はまるで幽霊屋敷のようであった。8階のホトトギス社にもお使いで行ったことがある。大正10年末、三菱地所不動産部長の赤星陸治(後の水竹居)が、丸ビル最初のテナント募集のとき、そこに高浜虚子の名があって仰天した……という話をホトトギス社員から聞いて驚いた。驚いたのは、ホトトギスと丸ビルの取り合わせを、解剖台上のミシンと蝙蝠傘であるかのように話してくれたからである。当時の私には違和感などなかった。両者とも古びていた。いやむしろ主宰が美人の稲畑汀子に代わったばかりのホトトギスのほうが新しかった。
丸ノ内ビルヂングは万事が洋式、文明の最先端を行くビルなのだ。そういわれてもピンと来なかった「旧少年」はもう驚かない。本書『不良少女伝』のおかげである。引用された大正14年の資料によれば丸ビルの全勤務者数は5,124人(男4,372人、女752人)にも上ったという。序文には一頁大で、関東大震災にもびくともしなかった大正末年丸ビルの堂々たる雄姿を掲載。そして対抗頁にこう引く。「丸ビル一の美人とうわさされたタイピストの林きみ子は、ハート団という不良グループの首領で、『ジャンダークのお君』と異名をとった。彼女らは丸ビルの某喫茶店を根城に、丸の内一帯にはびこり、婦女子をおどして金品をまきあげたり、万引きを強要したり、わるさのかぎりをつくした」。あの閑散とした丸ビルが、なんと不良の巣窟だったというのである。
大正13年4月の読売新聞の連載コラム「丸ビル美人傳」が写真入りで紹介される。丸ビル内のテナント勤務というだけで最先端、憧れの女性像なのだ。ひところの六本木ヒルズみたいなものか。「美人傳」中のひとり、鈴木静子さん(20歳)は目のぱっちりした美人だが、すぐに12月10日付の報知新聞が示される。静子さんは「密淫売」や「脅喝」の咎で検挙された「ハート団」の一員だったのだ。続くサンデー毎日12月21日号の記事はもっと凄い。首領林きみ子(22歳、写真では岡田嘉子に瓜二つの美女)の自白によれば「丸ビルに処女なし」なのだという。ついで昭和6年刊の『モダン・千一夜』(田中直樹著、チップ・トップ書店)も引かれる。丸ビルW・C掃除人夫の統計になる亜米利加の強靱なる使用済み「雨外套」(コンドーム)、その発見数は月平均400~500個にのぼるという。「東京行進曲」のいうとおり、まさに「恋の丸ビル」だったのだ。
そうそう、「ハート団のお君」。こう書けば人はみな『浅草紅団』の弓子を思い出すだろう。だが川端が東京朝日新聞夕刊に連載を始めたのは昭和4年12月12日だから、事実のほうが5年も先行していたのであった。その他、本書にこれでもかとばかり続々登場する戦前の不良少女は、私に小津映画『非常線の女』(原案・ジェームス槇〔小津の変名〕、昭和8年)の田中絹代を思い出させる。昼間は真面目な事務員、夜は洋装となりチンピラの情婦と化す。小津の創作ではなかった。現実の「不良少女」の模写だったのだ。
そういえば聞いた話だが、昨年ホトトギスは虚子の曽孫稲畑廣太郎が後継者と認められ、今後世代交代が促進される見込みとか。9階建ての旧丸ビルもいつのまにか36階建てになり、今や名店揃いのグルメなビルになっているという。
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