2010年2月アーカイブ
2010年2月25日 10:00
その本が彼の運命を決めた
『ヒトラーの秘密図書館』
著者: ティモシー・ライバック 訳者: 赤根洋子
出版社: 文藝春秋
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 4163721207
ISBN-13: 978-4163721200
出版社: 文藝春秋
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 4163721207
ISBN-13: 978-4163721200
蔵書は持ち主を語る。アドルフ・ヒトラーは1万6000冊以上の本を所有する読書家だった。彼の蔵書は、第三帝国崩壊の混乱の中で散り散りになったが、岩塩抗で発見されたほぼ無傷の3000冊のうち1200冊が、アメリカ議会図書館の書庫に現在収められている。本書は、議会図書館のほか各地に眠っていた1300冊の蔵書を調べ上げ、ヒトラーの精神形成に重要な関わりが見いだされる10点を章の軸としてピックアップ。本を入り口に、ヒトラーの人生の節目節目を描き出した歴史読み物である。1915年11月、西部戦線従軍中の26歳のヒトラーが4マルクで買ったガイドブック『ベルリン』、政界に足を踏み入れたヒトラーを庇護したD・エッカートの『戯曲ペール・ギュント』、33年1月にナチスが政権を掌握するや、ヒトラーの”聖書”からドイツの国策へと変化したM・グラント『偉大な人種の消滅』などについて描いていく。最後に登場する本は、ヒトラーが最晩年に手にしたT・カーライル『フリードリヒ大王』。敵国の女王が急死し、からくも救われた伝説の大王に身を重ねて転機を期待したが、奇跡はヒトラーの身には起きなかった。
ネイティヴ・アメリカンの主人公が活躍する冒険小説に夢中だった少年は、いかにして反ユダヤ、非白人蔑視の教義に染まっていったのか。ヒトラーが1925年に出版した『我が闘争』にアメリカの自動車王フォードの反ユダヤ主義が影響を及ぼしたように、アメリカにも人種差別主義は存在していたが、訳者の赤根洋子氏があとがきで指摘するように、〈そのようなアメリカがナチス政権によってドイツから追われたユダヤ人の多くを受け入れる側に回ったこと、そして何より、ヒトラーが非北欧人種の国・日本と同盟を結び、「純血の砦」アメリカと戦わざるを得なくなったことは、歴史の皮肉と言うしかないだろう〉。多くの情報に当たることで客観性が養われるかというと、ことヒトラーに関しては、そうではなかった、ということが読むと分かる。思い込みがほどかれて視界が広がる読書もあるが、思い込みを増強する一方の読書もあるのだ。ヒトラーは異なる考えを持つ生身の人間と対話ができず、逆らうことのない本によって自らを保とうとした。しかし、その人となりはすべて行動に表れ、そしてその人が生涯を終えたとき、蔵書は語り始める。
本の中にその収集者が「保存」されていると書いたユダヤ系ドイツ人批評家のヴァルター・ベンヤミンは、ヒトラーの政権掌握でドイツを逃れ、亡命の途上で死亡した。彼の蔵書はゲシュタポに押収されてベルリンに送られ、次いでソ連軍に押収されてモスクワに運ばれ、のちにドイツに戻り、60年の長い旅を経て、ベルリンのベンヤミン記念館に収められている。散り散りになったヒトラーの蔵書との対比がさらりと語られており、まずは読み物としてめっぽう面白い、「彼の本の物語」だ。
2010年2月25日 10:00
戦争を越えて生きるために
『「戦後」の思想』
カントからハーバーマスへ
カントからハーバーマスへ
著者: 細見和之
出版社: 白水社
参考税込価格: 3,150円
ISBN-10: 4560080321
ISBN-13: 4560080321
出版社: 白水社
参考税込価格: 3,150円
ISBN-10: 4560080321
ISBN-13: 4560080321
ハラハラドキドキする哲学書というのはめずらしいが、これはそう言わざるをえない本だ。けっして、すらすら読めるわけではない。盤根錯節し、あちこち話題が飛び、論議が複雑になりすぎるところもある。それでもハラハラドキドキするのは、思わぬエピソードに加えて、ここには戦争と哲学のかかわりが描かれているからである。
ふつう「戦後」というと、第二次世界大戦後を頭に思い浮かべるが、ここで取り扱われているのは、19世紀初頭のナポレオン戦争以後、現在にいたるまでの数々の「戦後」である。いや、『永遠平和のために』を書いたカントを序章とすれば、その時代はもう少しさかのぼるし、いまもつづくアフガン・イラク戦争などを考えれば、21世紀の「戦後」はまだ訪れていない。
タイトルが「戦争」の思想ではなく、「戦後」の思想となっている点に注目すべきだ。そこに秘められているのは、人は戦争を乗り越えるビジョンをもつことができるか、という思いにちがいない。その意味で、この本がカントの『永遠平和のために』から始まるのは示唆に富む。カントは利害の対立する国家の上に、世界市民が自由に交流できる世界共同体のようなものをつくることによって、戦争が避けられるのではないかと考えた。その理念は欧州連合(EU)や国際連合となって、一部結実した。とはいえ、それまでに人類は信じられないほどの犠牲を伴う戦争を経験したし、いまも戦争は終わったわけではない。
著者の専門とも関係するが、扱われているのは主にドイツの哲学者とその思想である。そして、この本が深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、おもしろさを感じさせるのは、哲学者たちが対比列伝風に並べられているためではないだろうか。それによって時代も思想も平面的にではなく、はやりの映画「アバター」ではないけれど3D的にとらえられる。
ナポレオン戦争をめぐるフィヒテとヘーゲル、普仏戦争をめぐるマルクスとニーチェ、第一次世界大戦後のローゼンツヴァイクとハイデガー、第二次世界大戦後のアドルノとアーレント。こうして目次をピックアップしただけでも、著者の工夫は伝わるのではないか。ベンヤミンが登場しないではないか、と不満に思う読者がいるかもしれないが、心配は無用。実は最初から最後までベンヤミンは影のように併走している。
戦争をとらえる視点、それを乗り越えて生きのびていく方向性はさまざまだ。しかし、どの哲学者も真剣に戦争の問題と取り組んでいる。全体主義の鋭い批判者として知られるアーレントが、赦しと和解、約束を唱えていることを知ったのは、思いがけぬ収穫だった。日々、新たな「誕生」を迎えなければ、人類は存続していけないのだ。
ふつう「戦後」というと、第二次世界大戦後を頭に思い浮かべるが、ここで取り扱われているのは、19世紀初頭のナポレオン戦争以後、現在にいたるまでの数々の「戦後」である。いや、『永遠平和のために』を書いたカントを序章とすれば、その時代はもう少しさかのぼるし、いまもつづくアフガン・イラク戦争などを考えれば、21世紀の「戦後」はまだ訪れていない。
タイトルが「戦争」の思想ではなく、「戦後」の思想となっている点に注目すべきだ。そこに秘められているのは、人は戦争を乗り越えるビジョンをもつことができるか、という思いにちがいない。その意味で、この本がカントの『永遠平和のために』から始まるのは示唆に富む。カントは利害の対立する国家の上に、世界市民が自由に交流できる世界共同体のようなものをつくることによって、戦争が避けられるのではないかと考えた。その理念は欧州連合(EU)や国際連合となって、一部結実した。とはいえ、それまでに人類は信じられないほどの犠牲を伴う戦争を経験したし、いまも戦争は終わったわけではない。
著者の専門とも関係するが、扱われているのは主にドイツの哲学者とその思想である。そして、この本が深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、おもしろさを感じさせるのは、哲学者たちが対比列伝風に並べられているためではないだろうか。それによって時代も思想も平面的にではなく、はやりの映画「アバター」ではないけれど3D的にとらえられる。
ナポレオン戦争をめぐるフィヒテとヘーゲル、普仏戦争をめぐるマルクスとニーチェ、第一次世界大戦後のローゼンツヴァイクとハイデガー、第二次世界大戦後のアドルノとアーレント。こうして目次をピックアップしただけでも、著者の工夫は伝わるのではないか。ベンヤミンが登場しないではないか、と不満に思う読者がいるかもしれないが、心配は無用。実は最初から最後までベンヤミンは影のように併走している。
戦争をとらえる視点、それを乗り越えて生きのびていく方向性はさまざまだ。しかし、どの哲学者も真剣に戦争の問題と取り組んでいる。全体主義の鋭い批判者として知られるアーレントが、赦しと和解、約束を唱えていることを知ったのは、思いがけぬ収穫だった。日々、新たな「誕生」を迎えなければ、人類は存続していけないのだ。
2010年2月18日 10:00
40年の純愛物語にびっくり
『妻を看取る日』
国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録
国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録
著者: 垣添忠生
出版社: 新潮社
参考税込価格: 1,365円
ISBN-10: 4103212217
ISBN-13: 978-4103212218
出版社: 新潮社
参考税込価格: 1,365円
ISBN-10: 4103212217
ISBN-13: 978-4103212218
国立がんセンター総長を務めていた著者が、夫人をがんで亡くしていた。日本のがん対策の第一人者が、どんな思いで、妻のがん死を看取ったのか? 軽い気持ちで、というのは不謹慎だが、本書を手にとったのは、ちょっと覗き見趣味的な好奇心からだった。1941年生まれの著者は、桐朋学園から東大医学部に入り、医学部闘争を経て、外科医になる。年代とキャリアと外見(失礼!)から、さぞ無骨な人なんだろうという先入観に凝り固まって読み始め、まず驚いたのが、夫人との出逢い。彼女は12歳年上で、しかも出逢った当時は既婚者。当然のことながら家族からは猛反対され、二人は駆け落ちして新婚生活を始めた。
《「この人しかいない」という想いに、わずかでも迷いが入り込むことはなかった》《あの頃に戻り、じっくりと考えてみたとしても、私は同じ決断をしたと断言できる》
著者の夫人に対する想いは、最後の日まで、微塵たりとも揺るぐことがない。そう、本書は、夫人への愛と尊敬と、喪失の悲しみと痛みの言葉に全編が彩られた、夫婦40年の純愛物語なのだった。
毎年、夏を奥日光で過ごし、携帯で病院に呼び出されても、とんぼ返りで戻って二人の休暇を慈しんだ著者。「奥様はどんな人でした?」と問われ、「大変賢くて抜群にセンスのいい女性でした」と答える著者。死から二年経っても、夫人の靴や服に触れると涙が溢れて、遺品を片付けられない著者。現代医療最高水準の治療とケアを施しても、決して早世とは言えなくても(夫人は享年78歳)、愛する人の死とは、こんなにも悲しくて不条理なのだ。
「よく生きる」とか「よく死ぬ」とか、最近、そんな言葉をよく耳にする。「よい死に方ができれば、死は怖いものでも悲しいものでもないんじゃないか」と観念的に考えがちだった私は、「大の男が、こんなにも逡巡なく、妻への思いを口にできるのか?」と著者の一言一言におののき、そして、そのストレートさにやられた。
2010年2月18日 10:00
〈濃い〉人々の人間ドラマ
『新・日本文壇史1』
漱石の死
漱石の死
著者: 川西政明
出版社: 岩波書店
参考税込価格: 2,940円
ISBN-10: 4000283618
ISBN-13: 978-4000283618
出版社: 岩波書店
参考税込価格: 2,940円
ISBN-10: 4000283618
ISBN-13: 978-4000283618
日本人は「集団」の中で育ち上がり、活動し続ける。生果てて後もなお、法事などの形で「集団」に取り囲まれているほどだ。文学も同じである。小西甚一の大著『日本文芸史』は、日本文学の特色の1つをその集団性においている。作家たちは自分と同じ考え方、感じ方をするグループを形成し、その中で息をし続けた、と。恐らくはそれら集団のせめぎあいの総体として、日本にしか存在しない「文壇」が成立し、「日本文壇史」も書かれ得るのであろう。
例えば太平洋の向こうのアメリカ。フィッツジェラルド、ドス=パソス、フォークナー、ヘミングウェイといった面々は、1920年代にアメリカ文学を世界文学をリードする水準にまで引き上げた作家たちだが、みな19世紀末の僅か3年間に生まれたからといって、彼らが若き日に飲み屋に集い、同じグループの一員として将来を誓い合った、などといったエピソードは丸でない。それはサルトル・カミュのフランス、ゲーテ・シラーのドイツでもほぼ同様である。こうした外国文脈からすると、作家の人間関係の総体として文学史を構築するという試み自体が、バルトの「作者の死」をいまだ錦の御旗にし、作品から作者を追放することに血道をあげているテキスト論者たちからすれば、信じられないほど古い手法だと非難もされよう。
しかし、である。小西の指摘するように、日本では和歌も俳諧も芸能も、流派の形成なくして発展することはなかった。明治以降の近代文学の世界でもまた、「芸術としての文学」に目覚めた若者たちがグループ化し、切磋琢磨する中で、新しい作品が次々と生まれていったのだ。文学作品が、人間の真実を最も直接的に掴みだす芸術であるならば、それを生む作家たちの生もまた間違いなく鮮烈なものにならざるをえない。そうした人々の多くが群れ集い、人間関係を深く交錯させてきた日本文学の世界では、たしかに一段と〈濃い〉人間模様が展開されてきた。
本書、『新・日本文学史第1巻』は、明治文学の巨魁漱石が大正5年に没するところから始まる。会葬受付をしていた芥川は、「森林太郎」とだけ書かれた大判の名刺を差し出されて緊張する。強い眼光、落ち着いた物腰、鴎外との初対面だった。漱石山脈から生まれた芥川ら「新思潮派」では、師の死後ただちにその長女筆子をめぐり、久米正雄と松岡譲とが血みどろの戦いを始める。その渦中に奇怪な怪文書を投げ込んだのは、のちの「人道主義」作家山本有三だった。著者の筆は続いて芥川の不倫の恋に移り、さらには大正期のもう1つの文学世界――耽美主義へと移って行く。日本文学に新しい美の世界を到来させた谷崎は、同じく漱石・鴎外の明治文学を一新させようとする志を持つ佐藤春夫と意気投合し、やがて有名な妻譲渡事件を引き起こす。性的異端者としての谷崎の認識の深淵に、佐藤が自らの性的体験を重ねる中で理解を深めて行くさまが克明に描かれる。一方、悪意を秘めて互いの生活を描き合う明治以来の自然主義派の作家たち…。
本書に先行する「日本文壇史」は、明治の作家たちの熱い人間関係をノンフィクション的なタッチのうちに生き生きと描き出した、伊藤整+瀬沼茂樹による全24巻の偉業だった。その志が、1978年以降30年余にわたって中断したあと、本書は、本年69歳の川西政明がそれを引き継いで書き出した新シリーズの初巻で、明治とは異なる新しい風の吹く大正文壇を描く。シリーズの今後にも期待したい。
2010年2月10日 10:00
本当に「恋の丸ビル」だった!
『明治 大正 昭和 不良少女伝』
莫連女と少女ギャング団
莫連女と少女ギャング団
著者: 平山亜佐子
出版社: 河出書房新社
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 430924498X
ISBN-13: 978-4309244983
出版社: 河出書房新社
参考税込価格: 1,995円
ISBN-10: 430924498X
ISBN-13: 978-4309244983
つまり四半世紀以上前、某新聞社の「少年」(バイト学生の意)として日夜働いていた。一番多かったのが丸ビルへのお使いである。ショッピングモールを展開する1階はまだしも、上層階ともなれば日中の廊下でも人はまばら。閑散としていた。夜はまるで幽霊屋敷のようであった。8階のホトトギス社にもお使いで行ったことがある。大正10年末、三菱地所不動産部長の赤星陸治(後の水竹居)が、丸ビル最初のテナント募集のとき、そこに高浜虚子の名があって仰天した……という話をホトトギス社員から聞いて驚いた。驚いたのは、ホトトギスと丸ビルの取り合わせを、解剖台上のミシンと蝙蝠傘であるかのように話してくれたからである。当時の私には違和感などなかった。両者とも古びていた。いやむしろ主宰が美人の稲畑汀子に代わったばかりのホトトギスのほうが新しかった。
丸ノ内ビルヂングは万事が洋式、文明の最先端を行くビルなのだ。そういわれてもピンと来なかった「旧少年」はもう驚かない。本書『不良少女伝』のおかげである。引用された大正14年の資料によれば丸ビルの全勤務者数は5,124人(男4,372人、女752人)にも上ったという。序文には一頁大で、関東大震災にもびくともしなかった大正末年丸ビルの堂々たる雄姿を掲載。そして対抗頁にこう引く。「丸ビル一の美人とうわさされたタイピストの林きみ子は、ハート団という不良グループの首領で、『ジャンダークのお君』と異名をとった。彼女らは丸ビルの某喫茶店を根城に、丸の内一帯にはびこり、婦女子をおどして金品をまきあげたり、万引きを強要したり、わるさのかぎりをつくした」。あの閑散とした丸ビルが、なんと不良の巣窟だったというのである。
大正13年4月の読売新聞の連載コラム「丸ビル美人傳」が写真入りで紹介される。丸ビル内のテナント勤務というだけで最先端、憧れの女性像なのだ。ひところの六本木ヒルズみたいなものか。「美人傳」中のひとり、鈴木静子さん(20歳)は目のぱっちりした美人だが、すぐに12月10日付の報知新聞が示される。静子さんは「密淫売」や「脅喝」の咎で検挙された「ハート団」の一員だったのだ。続くサンデー毎日12月21日号の記事はもっと凄い。首領林きみ子(22歳、写真では岡田嘉子に瓜二つの美女)の自白によれば「丸ビルに処女なし」なのだという。ついで昭和6年刊の『モダン・千一夜』(田中直樹著、チップ・トップ書店)も引かれる。丸ビルW・C掃除人夫の統計になる亜米利加の強靱なる使用済み「雨外套」(コンドーム)、その発見数は月平均400~500個にのぼるという。「東京行進曲」のいうとおり、まさに「恋の丸ビル」だったのだ。
そうそう、「ハート団のお君」。こう書けば人はみな『浅草紅団』の弓子を思い出すだろう。だが川端が東京朝日新聞夕刊に連載を始めたのは昭和4年12月12日だから、事実のほうが5年も先行していたのであった。その他、本書にこれでもかとばかり続々登場する戦前の不良少女は、私に小津映画『非常線の女』(原案・ジェームス槇〔小津の変名〕、昭和8年)の田中絹代を思い出させる。昼間は真面目な事務員、夜は洋装となりチンピラの情婦と化す。小津の創作ではなかった。現実の「不良少女」の模写だったのだ。
そういえば聞いた話だが、昨年ホトトギスは虚子の曽孫稲畑廣太郎が後継者と認められ、今後世代交代が促進される見込みとか。9階建ての旧丸ビルもいつのまにか36階建てになり、今や名店揃いのグルメなビルになっているという。
2010年2月10日 10:00
日々、きものに割烹着
『日々、きものに割烹着』
著者: 猪谷千香
出版社: 筑摩書房
参考税込価格: 1,575円
ISBN-10: 4480878149
ISBN-13: 978-4480878144
出版社: 筑摩書房
参考税込価格: 1,575円
ISBN-10: 4480878149
ISBN-13: 978-4480878144
別にコスプレなるものに興味はないけれど、表紙の写真を見て目を奪われた。着物姿のおばあちゃん二人が写っていて、どちらも白い割烹着を着ている。短い白髪のせいか、顔は何だか歌舞伎役者のようだ。特に向かって左のおばあちゃんがそうである。タイトルが示すとおりの本らしい。うかつなわたしは著者の名前を見て、あの伝説のスキーヤーかと思った(ご存じ?)。もちろんよく見ると違うし、著者の紹介を見ると妙齢の女性である。そりゃあそうだよね。
生まれ育ったときから(もちろん東京の生まれ)、ずっと「着物」とつきあってきたという。祖母の実家が両国の「工藤写真館」で、この祖母が大変な着道楽だったそうだ。その影響で、著者も着物を愛し、着物にまつわるエッセイを書き、それがこの本になった次第。人生の一大事も、社会を痛罵する声も、政治の不振を嘆く声も、あるいは若い女性の妙な服装を弾劾することもなく、ただ何となく懐かしさにつられて書き綴った本。それが実にいいのです。力が抜けていて素敵なのだ。
着物の襟にまつわる「真夏の足つき幽霊」が出色。ここは今時の若い女性を皮肉っている。花火の時期になると、確かに幽霊のような娘の着物姿が目につく。何しろ「左前」に着物を着るのだから、縁起が悪いことこの上ない。そして「日本橋の美人姉妹」を読むと、表紙の謎が解ける。
それにしても割烹着っていいなあ。7年前に天寿を全うしたわたしの母も、ずっと割烹着を身につけていた。それを思い出しました。そうだ、母も日本橋の生まれだった。早いうちに両親を亡くし、妹二人、弟三人の親代わりとして懸命に働いてきた母。それには割烹着が一番便利だったのだろう。
生まれ育ったときから(もちろん東京の生まれ)、ずっと「着物」とつきあってきたという。祖母の実家が両国の「工藤写真館」で、この祖母が大変な着道楽だったそうだ。その影響で、著者も着物を愛し、着物にまつわるエッセイを書き、それがこの本になった次第。人生の一大事も、社会を痛罵する声も、政治の不振を嘆く声も、あるいは若い女性の妙な服装を弾劾することもなく、ただ何となく懐かしさにつられて書き綴った本。それが実にいいのです。力が抜けていて素敵なのだ。
着物の襟にまつわる「真夏の足つき幽霊」が出色。ここは今時の若い女性を皮肉っている。花火の時期になると、確かに幽霊のような娘の着物姿が目につく。何しろ「左前」に着物を着るのだから、縁起が悪いことこの上ない。そして「日本橋の美人姉妹」を読むと、表紙の謎が解ける。
それにしても割烹着っていいなあ。7年前に天寿を全うしたわたしの母も、ずっと割烹着を身につけていた。それを思い出しました。そうだ、母も日本橋の生まれだった。早いうちに両親を亡くし、妹二人、弟三人の親代わりとして懸命に働いてきた母。それには割烹着が一番便利だったのだろう。
2010年2月 3日 10:00
いったい『論語』はどんな本なのか
『論語』
心の鏡
心の鏡
著者: 橋本秀美
出版社: 岩波書店
参考税込価格: 2,205円
ISBN-10: 4000282948
ISBN-13: 978-4000282949
出版社: 岩波書店
参考税込価格: 2,205円
ISBN-10: 4000282948
ISBN-13: 978-4000282949
「書物誕生――あたらしい古典入門」シリ―ズの1冊である。なんとなく、しかつめらしい儒教の古典と思っていた『論語』のイメージを一転させてくれたのは、桑原武夫『論語』(ちくま文庫)である。自分なりの仕方で孔子と『論語』を理解していこうとするそのやわらかい接し方に、「あー、こんなふうに理解していけばいいのか」と感動した。また、宮崎市定『論語の新しい読み方』『現代語訳 論語』(以上、岩波現代文庫)にも、「こんな大胆な解釈があるのか、ぜんぜん違うじゃないか」と驚いたものである。
この本は、その『論語』という本はそもそもどこにあるのか、から問い始める。『論語』は孔子とその弟子たちの言行がある段階でまとめられたものだが、だれが、いつ、どのようにまとめたのか、わかっていない。それがいつから『論語』と呼ばれるようになったのかも、わかっていない。孔子没(前479年)後、数世紀をかけて徐々に編纂されていき、漢代にほぼ現在のかたちに近いものが出来上がっていったらしい。現在の『論語』20篇は、重複その他から前10篇と後10篇に分けられ、前10篇が編纂された後にそれを補完する意味で後10篇が編纂されたと考えられているという。
『論語』は孔子一門の言行録で、断片的な記録が寄せ集められたものである。短く、簡潔なために儒学入門の書として広まったが、一方ではその短い章句の解釈をめぐっていろいろな説が行われてきた。『論語』の章句をどう解釈するかは、中国の伝統的な学問=経学の大きな柱の一つだった。確かにだれかの解釈を通じてしか、『論語』は理解することができないといっていい。わが国で現在も貝塚茂樹訳(中公文庫)、吉川幸次郎訳(朝日文庫)、金谷治訳(岩波文庫)が並行して出されているのは、そのためである。『論語』の解釈の上で大きな影響力を持ったのは「注」であった。後漢の鄭玄(じょうげん)の鄭玄注『論語』、魏の何晏(かあん)の『論語集解』、南宋の朱熹(朱子)の『論語集注』などの「注」が、その時代時代に最大の影響力を発揮してきた――つまりそれらの「注」(解説)に基づいて『論語』が理解されてきたのである。現在の『論語』が20篇なのも、鄭玄・何晏らの「注」によるらしい。しかし写本の時代、本はそんなに残るものではない。鄭玄注『論語』などは、その後テキストが散逸し忘れられていたが、20世紀になって敦煌・トルファンで残巻が発見されてよみがえったという。文献考証のもっとも盛んだった清代の経学者たちは鄭玄注『論語』を知らなかったわけである。
著者は現在北京大学で歴史学系の副教授をしている歴史文献学の専門家である。『論語』の文献学といえば難解複雑な世界なのだろうが、書物の歴史の観点から2000年余にわたる『論語』の各種の本と注釈本を明快に解説していて、風通しのいい、今日的な学問のスタイルを感じさせてくれた。「時代・社会・人間を映し出す<鏡>としての古典」=『論語』の歴史とその意義をよく解き明かしてくれる書物である。
この本は、その『論語』という本はそもそもどこにあるのか、から問い始める。『論語』は孔子とその弟子たちの言行がある段階でまとめられたものだが、だれが、いつ、どのようにまとめたのか、わかっていない。それがいつから『論語』と呼ばれるようになったのかも、わかっていない。孔子没(前479年)後、数世紀をかけて徐々に編纂されていき、漢代にほぼ現在のかたちに近いものが出来上がっていったらしい。現在の『論語』20篇は、重複その他から前10篇と後10篇に分けられ、前10篇が編纂された後にそれを補完する意味で後10篇が編纂されたと考えられているという。
『論語』は孔子一門の言行録で、断片的な記録が寄せ集められたものである。短く、簡潔なために儒学入門の書として広まったが、一方ではその短い章句の解釈をめぐっていろいろな説が行われてきた。『論語』の章句をどう解釈するかは、中国の伝統的な学問=経学の大きな柱の一つだった。確かにだれかの解釈を通じてしか、『論語』は理解することができないといっていい。わが国で現在も貝塚茂樹訳(中公文庫)、吉川幸次郎訳(朝日文庫)、金谷治訳(岩波文庫)が並行して出されているのは、そのためである。『論語』の解釈の上で大きな影響力を持ったのは「注」であった。後漢の鄭玄(じょうげん)の鄭玄注『論語』、魏の何晏(かあん)の『論語集解』、南宋の朱熹(朱子)の『論語集注』などの「注」が、その時代時代に最大の影響力を発揮してきた――つまりそれらの「注」(解説)に基づいて『論語』が理解されてきたのである。現在の『論語』が20篇なのも、鄭玄・何晏らの「注」によるらしい。しかし写本の時代、本はそんなに残るものではない。鄭玄注『論語』などは、その後テキストが散逸し忘れられていたが、20世紀になって敦煌・トルファンで残巻が発見されてよみがえったという。文献考証のもっとも盛んだった清代の経学者たちは鄭玄注『論語』を知らなかったわけである。
著者は現在北京大学で歴史学系の副教授をしている歴史文献学の専門家である。『論語』の文献学といえば難解複雑な世界なのだろうが、書物の歴史の観点から2000年余にわたる『論語』の各種の本と注釈本を明快に解説していて、風通しのいい、今日的な学問のスタイルを感じさせてくれた。「時代・社会・人間を映し出す<鏡>としての古典」=『論語』の歴史とその意義をよく解き明かしてくれる書物である。
2010年2月 3日 10:00
「無料」は「自由」か?
『フリー』
<無料>からお金を生み出す新戦略
<無料>からお金を生み出す新戦略
著者: クリス・アンダーソン
監修者: 小林弘人
訳者: 高橋則明
出版社: NHK出版
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 4140814047
ISBN-13: 978-4140814048
監修者: 小林弘人
訳者: 高橋則明
出版社: NHK出版
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 4140814047
ISBN-13: 978-4140814048
自分でも忘れてしまった購入履歴をもとに類書を勧められたり、買おうと思っただけでこの本もいかがと聞かれてみたり、書籍のネット購入は何かとウルサイ。何がウルサイと言って、一番の不愉快は、勧めてくれるのが顔のないシステムだということだろう。重宝しながら勝手なことは言うまいと思うが、ためらいがちについ毒づいてしまうことが多いのも事実。データを根拠にしたかなり正確な予断は確かに役に立つけれど、肝腎の勧める心がないから、こりゃ余計なお世話だと思うのだ。しかも、そうやって本を入手するときは、手元に届く際に楽しみのピークがやってきて、後はつまみ食いのツンドクていどでお終いになることが多い。朱に交わればアカくなる。いったんアカくなったら容易にもとに戻れない。読みたいというより買うことに気が向いてしまって、溜まっていく本に本来の愛情が持てない。なのに、いや、だから、また買ってしまうのかもしれない。なぜこういう悪循環が起こるのか。本の虫ならともかくも、これでは注文の虫、単なる消費中毒である。
というわけで、この本もネット購入で読んでしまった。著者は「ロングテール」という最近流行りの経済概念を提唱した人。ネット販売の商品を売上高の多い順から並べると、売上構成比のほとんどを占めるのが、販売数の多い商品(つまりベストセラー群)ではなく、実はグラフ上で長い尻尾のように伸びる少数販売商品のほうだと主張していて、そんな経歴が、柳の下の泥鰌を追いかけるいまの日本の出版界で、(口はばったく言えば)「売れない良書」にも目配りする人の足しにならないかと考えたのだが、一冊一冊の本の何が面白いのかという話を抜きに、統計数値と販売管理上の属性だけでモノを語られても、うーん、やはりいま一つだなという感じが残った。
商売である限り、採算の合わない本はつくれない。ならば、採算が合うなら何をつくっても面白いのか。そうではない。出版を含む広い意味での表現行為の面白さとパワーは、売れるか売れないか、通じるか通じないかに賭ける未知でアナーキーなダイナミズムの中にこそあるのだと思う。だから、著者が敢えて看過した「予測不能性」をどう担保していくか。その工夫が、依然として一番の課題なのではなかろうか。
因みに題名にある「フリー」とは基本的に「無料」のことを指す。本書も本文を無料公開し30万ダウンロードを記録した後に刊行されたのだそうだ。この「フリー」が、果たして著者や読者の「自由」にどうつながっているのか。出版不況のいまだからこそ、真剣に考えてみる必要がありそうだ。


