2009年9月アーカイブ

『ヒッチコックに進路を取れ』
著者: 山田宏一、和田誠
出版社: 草思社
参考税込価格: 2,625円
ISBN-10: 4794217226
ISBN-13: 978-4794217226
4794217226.jpg舐めるように読みたくなる本がある(ちょっとだけホントに舐めてしまう!)。現れるのはほぼ年に一冊ペース。去年は『ティファニーで朝食を』の村上春樹訳(新潮社)。今年は『ヒッチコックに進路を取れ』である。愛おしすぎる……もう三回も舐めながら読み通してしまった(そのたびに誤植も一つずつ見つけた)。

えーと、これはヒッチコックの撮った五十三本の映画を語り倒す本、つまり対談本なのです。対談本は通常六?七掛けといわれる。内容的=部数的に。つまり書かれた本の三?四割減が相場。だがこの「原則」、映画評論の世界では逆じゃないかとも思える。対談(鼎談・座談)形式は口コミに似て、映画鑑賞欲を妙に掻き立てる。古い例をいえば「映画之友」。場末の古本屋で激安一気買いしたのだが、目玉はどう見ても淀川長治編集長を交えた新作座談会。「群像」の創作合評みたいなものだ。南部圭之助や双葉十三郎は凡庸だが、東宝争議で失業したての植草甚一が異見づくし。異彩を放つのであった。いっぽう、冊子内に溢れかえるマルクス(兄弟じゃない方)もどき映画評論――『忠臣蔵』はブルジョアのお遊びだ、庶民不在だ等々――は読むに堪えない。大家然とした評論家ほど、その時代錯誤が、痛ましさを突き抜けて微笑ましいほどなのである。

とにかくざっくり言うと、映画評論は喋り言葉に限ると思うのである。映画は観なきゃ始まらない。映画本の役割の第一は読者を映画自体に向かわせること。観た後にあーだこーだ小難しい文体で論評するヒマがあったら、もう一本別の映画を観たほうがいいのだ。

本書の著者、山田宏一と和田誠のふたりに説明は不要だろう。私見では二十世紀で三本の指に入る映画本の傑作『たかが映画じゃないか』(文藝春秋、1978年)の著者でもあり、この本には同書の続編の匂いもする。山田宏一は蓮實重彦と淀川長治との鼎談『映画千夜一夜』(中央公論社)はじめ、この種の対談本では控えめな知恵袋に徹することが多いが、ここでは別人。気持ちよさそうにヒッチ映画というよりも映画史全般にわたる博覧強記をひけらかしている。和田誠もやさしくそれを受け止め……ない。リアルタイムで観た映画本数とジャズの専門知識で対抗しようと試みる。丁々発止で映画トリビアが展開されるわけだ。かくして、べろべろ読みかえすたびにTSUTAYAに走ってしまうのであった。

余計なことを言うと、わたし自身も結構なヒッチ・マニアなのである。鑑賞作品数は三十九本、それぞれ五回以上観ている。無声映画的な頭でっかちと幼稚なトリックのB級ぶりが鼻につくが、そこがまた愛おしいのである。ヒッチ本も洋書含めかなり読んだ。ぼろぼろになったので『映画術』(晶文社)、『ヒッチコックを読む』(フィルムアート社)は二冊ずつ持っている。そんなワタクシがすすめる『ヒッチコックに進路を取れ』。四の五の言わず、とにかく買ってほしい。後半部、対談ペースが異様に端折っている気もするが、どうか気にせずに!
『真説アダム・スミス』
その生涯と思想をたどる
著者: ジェイムズ・バカン
出版社: 日経BP社
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 482224749X
ISBN-13: 978-4822247492

482224749X.jpgアダム・スミスと聞くと、経済学、重商主義などという言葉がすぐに返ってくる。そしてその代表作は『国富論』。しかし、かつて『国富論』の翻訳は読みにくいことおびただしかった。それが山岡洋一の明快な訳文で読めるようになってから、まだあまり時間が経過していない。同じ日経BP社から出ているのだから、この機会に多くの人に読まれることを望みたい。

それはともかく、アダム・スミスが残したのは経済の業績だけではなく、人間の道徳や感性、さらには文学研究と言ってもいいものまであって、英文学、いやスコットランド啓蒙主義の知的到達点を知るには、彼に焦点を当てるのが大事だと思う。道徳に関しては、今回の翻訳書の解説をしている堂目卓生が卓抜な書物を書いている。しかしそれを広い意味での文学の中に位置づけて、英文学の読み直しをする試みはまだ端緒にもついていない。実はスミスは18世紀文学、あるいはロマン主義の勃興を考える上で重要な存在なのである。

そのスミスの伝記が本書。もちろん副題にもあるとおり、スミスの思想への着目も含まれている。スミス伝は前に大著が日本語訳されていたが、あまりにも読みにくいもので、まもなく捨ててしまった。原著は優れているのだが、それを訳のわからない日本語にした罪は大きい。しかし今回のこの翻訳は、実にいい。しかも原著が何よりもおもしろく、スミスの生涯、思想の成り立ち、ちょっとしたエピソードの光具合など、生き生きとこの人物を伝えるのに貢献している。章のタイトルが「ペン・ナイフと嗅ぎタバコ入れ」なんて、思わず惹きつけられる。

著者のジェイムズ・バカンはジャーナリストあがり。まるで優れた物語を語るかのように、スミスの生涯、思想、時代を甦らせてくれる。上質のミステリのようだ。それもそのはず、この人物のご先祖には、スパイ小説の傑作『三十九階段』を書いたジョン・バカンがいる。
『江戸の文人サロン』
知識人と芸術家たち
著者: 揖斐高
出版社: 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)
参考税込価格: 1,785円
ISBN-10: 4642056785
ISBN-13: 978-4642056786
4642056785.jpg18世紀のフランス文学の緻密な心理描写は、サロンでの社交から生まれたといわれる。著者は18世紀の江戸文化にもサロンがあり、それを支えたのは文人であったという。文人とは、読書人であり知識人であること、政治には直接関わらない、詩文書画に堪能で多芸多才、自分の精神生活を重視し、反俗的・尚古的な人、と定義される。

ではどういうサロンがあったのだろうか。まず、漢詩を作って楽しむ詩社である。商都大阪には富が集中し、文化も花開いた。町人のための学問所として懐徳堂ができ、博学多芸で名高い木村蒹葭堂は蒹葭堂会という漢詩の会を開いた。この会を引き継ぐかたちで混沌社が結成される。「混沌」は、才能を競って争うよりも、交遊のなかに光り輝くものを求めようの意で、酒食を楽しみながらの自由な会だった。そこで詠まれたのは、写実的な「詠物詩」と「詠史詩」だった。当時の文人たちは中国の歴史には詳しかったが、日本の歴史には疎かったという。頼春水は混沌社でこの詠史詩を詠むことで日本の歴史への関心を強め、その息子山陽は『日本外史』を完成、さらに日本史上の人物や事件を素材にした『日本楽府』という詠史詩集を出版した。

しかし江戸のもっとも華やかなサロンは狂歌のサロンであろう。四方赤良(大田南畝)を中心にした江戸狂歌の特徴として、江戸の天下泰平を寿ぐ当代賛美の心情,パロディによる滑稽、言葉遊びがあげられる。和歌や漢詩・漢文などの古典的素養を前提にして、「無用のすさびに興じて睦びあうこと」が江戸狂歌の精神だった。天明期には、江戸の町々に山手連、四谷連、朱楽連(武士中心)、落栗連、芝連、数奇屋連(町人中心)、吉原連(遊郭関係者中心)、堺町連(芝居関係者中心)とよばれる狂歌のサロンが叢生した。

次に蘭方医たちによって始められた蘭学サロンである。幕府の奥医師であった桂川家のサロンには前野良沢、杉田玄白、大槻玄沢など『解体新書』の翻訳メンバーや平賀源内などの蘭学者が集まってきた。桂川家の4代目桂川哺周の実弟が森島中良で、当時最先端の蘭学情報を盛り込んだ随筆集『紅毛雑話』や戯作『竹斎老宝山吹色』『中華手本唐人蔵』で世間の人々への蘭学の関心を喚起したという。また大槻玄沢は家塾の芝蘭堂で「おらんだ正月」を開いた。江戸の蘭学者たちの新年会である。

江戸後期は随筆の時代だったといわれる。江戸の随筆は、世間のさまざまな事物、書物や記録のなかから記事を拾いだし、それに考証や感想を付け加えて記述した。戯作者山東京伝は、寛政の改革で処罰を受けてからは随筆に積極的に取り組み、「京伝は骨董集と討死をしたり」(滝沢馬琴)との風説まで出るほど、元禄期の風俗考証に精力を傾けたらしい。京伝は『近世奇跡考』や『骨董集』の著作で、資料提供者の名を明記し、誰の考えであるかをはっきり断って書いているという。

考証には資料の閲覧と情報の収集が欠かせず、情報交換の場としての定期的なサロンが生まれた。幕府の書物奉行だった近藤重蔵の日本橋の花月社、本屋の雁金屋清吉の神田明神下の雲茶会に続き、国学系の書誌学者山崎美成、画家の谷文晁らが奇物・珍籍を持ちよって鑑賞する耽奇会を結成する。滝沢馬琴も常連だった。ほぼ同時期に兎園会も生まれた。こちらは奇談や異聞の記録や文章を持ちよって検討・考証しようという会で、山崎美成や馬琴も参加していたが、好事家・考証家の常というべきか、お互い譲ることのない論争の挙句、両会とも空中分解してしまう。

書画会も盛んだった。文人たちが書画も持ちよって鑑賞するものと、その場で即興的に詩を作り書や絵を描くものと、二通りがあったようだが、次第に料亭などで酒食を饗しながら書画の即席販売をする場所へと変わっていった。山東京伝は自らの開いた書画会の売上金を元手に、京橋に煙草や煙管をあつかう店を開いた。馬琴などは古希祝を名目にして御家人株を買う資金作りに書画会を開催している。それほど書画会は繁盛したことになるが、サロン的な意味合いは失われた。

以上、小さな本だが盛りだくさんな内容で、あらすじの紹介に終始してしまった。詩社、狂歌会、蘭学、事物考証の会、書画会など、江戸のサロン文化を包括的に紹介した本は、これまであまりなかったのではないだろうか。漢詩の紹介など本当にやさしく書かれていて、読みやすい。サロンということでいえば、俳諧、和歌のサロンにもふれてほしい気がしたが、奥行きのある江戸の文化の一端をかみ砕いて紹介した、好個の1冊である
『詩の本』
著者: 谷川俊太郎
出版社: 集英社
参考税込価格: 1,785円
ISBN-10: 4087712990
ISBN-13: 978-4087712995
4087712990.jpg詩についての本ではない。雑誌に発表された最近の作品を中心にした正真正銘の「詩集」だ。「あとがき」で著者がそのことに簡潔に注意を促しているので、なるほどと思った。考えてみると、このタイトルで一冊の詩集を編める人は、いまの日本では谷川さんくらいのものなのかもしれない。もっとも、彼の詩には、若いころから、その時々の具体的な関心事に重ねて、詩やことばそのものを語るメタポエティックな複数の声を持った作品が多いから、ご本人にとっては、これも至極自然な命名なのかもしれないけれど。

ぼくが若いころから谷川さんを読んできたのは、一読三嘆式の類まれな言葉の使い手ということももちろんあるけれど、それ以上に、このメタポエティックな部分に、老いても変わりようのない普遍的な若さや軽みがあると感じてきたからだ。この詩集にも、通常なら世間知や経験知の積み重ねのようなものだけが生み出すと考えられている老境の豊かさや巧まざる愛敬、あるいはその辛さや暗がりに、実感ではなく言葉とレトリックの側からスっと到達してしまっている趣があって、社会問題を「少子高齢化」のような陳腐な漢熟語で考えることに慣れ切っている者には、それがかえって心地よい開放感を与えてくれる。彼の詩に、実感に先立つ軽い言葉という誹りがあり得ることは知っているけれど、問題を問題として扱う態度をいつまでたっても成熟させずにいるぼくのような人間には、その誹りこそが、一を求めて三に甘んじるくらいなら、二で自足して謙虚に遊ぶほうが健全だと思わせるのである(たとえば「新しい詩」という作品の「きみは毎朝毎晩死んでいいんだ 新しい詩をみつけるために むしろ新しい詩にみつけてもらうために」といった不思議に陳腐で新鮮な詩句にある思い切りのよさには、いくら驚いても驚き足りない初々しさがあるし、いまの時代には、このB級グルメふうの文学的誠実さを感じ取る根太さが必要なのだと思う)。

本書を手にしたのはかなり前から目だってきていた谷川さんの「老い」にかんする様々な場所での発言が、彼の書く詩にどんな影を落としているのか確かめてみたかったからだ。結果については、しつこくいう必要はあるまい。主題としては濃密な影を落としながら、彼自身の詩の方法と力は以前とあまり変わっておらず、だからこそ、そこに時間の流れが感じられたということである。だとすれば、『詩の本』という詩集の形をとってぼくらの目の前にいるのは、裸になることを潔しとせず、老いた自らの現在を「失われた時を求め」るようにして懸命に更新し続けている、われわれ自身ともよく似た、切なくてかけがえのない谷川俊太郎という一人の両義的な人間の姿なのである。
『物理学者湯浅年子の肖像』
Jusqu’au bout最後まで徹底的に
著者: 山崎美和恵
出版社: 梧桐書院
参考税込価格: 3,780円
ISBN-10: 4340401269
ISBN-13: 978-4340401260
4340401269.jpg湯浅年子は1909年に生まれ、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大)で理科を学び、当時の女性には稀なことに東京文理科大学物理学科を卒業して、原子分子分光学の研究者となった(と書いても、研究の中身は私にはもちろんチンプンカンプンである)。

当時の日本には女性が思う存分研究できる環境がなかったので、年子は、第二次世界大戦勃発の半年後、フランスの高名なジョリオ=キュリー夫妻のもとで研究することを志す。1940年1月、重篤な病にかかった父親を日本に残しての渡仏であった。ここまでの歩みが、すでに尋常の意志によるものではない。

フレデリック・ジョリオ=キュリーに師事した半年後、パリはナチス・ドイツに占領される。年子は、ドイツの同盟国である日本人でありながら、ナチスの監視の目をかわして研究を続け、原子のβ崩壊に関する研究で、1943年、フランスの国家学位を取得する。

翌年、連合軍によるパリ解放直前、日本大使館の指示によりベルリンに強制退去させられるが、すぐに連合軍の総攻撃が迫る。しかしなお年子は諦めず、空襲爆撃の合間を縫って研究所に通いつめ、世界初の二重焦点型β線分光器を作成する。

この頃、一人ベルリンの街をさまよい、野に出て孤独を噛み締めて読んだ歌がある。

たまゆらの命守りて吾が来れば河辺に黄なる花の咲き居り

年子は敗戦の年、日本に帰るが、その一月後、母親が死亡。49年、再びフランスに渡り、1980年に亡くなるまでパリで研究を続けた。

著者は湯浅年子のことを何度か書いているが、本書が集大成。伝記も資料も回想も追悼の言葉も、すべてが詰め込まれていて、編集上の体裁の良い本ではないが、著者の燃え上がる情熱がそれを忘れさせる。

読後あまりに心打たれて、絶版になっていた湯浅年子『パリ随想』全3冊(みすず書房)を古書店で探して買ってしまった。最後にもう一首、年子の歌を挙げておく。

地に伏して泣かまくほしと思う日も 常のごとくにふるまいており
『Nの肖像』
統一教会で過ごした日々の記憶
著者: 仲正昌樹
出版社: 双風舎
参考税込価格: 1,890円
ISBN-10: 4902465167
ISBN-13: 978-4902465167
4902465167.jpg『集中講義!現代思想』(NHKブックス)など、歯切れのいい文章でその名を知っていた金沢大学教授・仲正昌樹の自分史である。四十歳半ばの彼が、なぜそんな一冊を上梓したのか。その理由がサブタイトルにある。「へー」と思い、つい手にとって読んでしまった。

広島県呉市出身のやや内向的な青年が、どうして統一教会(勝共連合、原理研)に入ってしまったのか。少年期の自分の分析から始まる。ごく普通の、若干、コンプレックス(気が弱く、人付き合いも下手)をもった青年が、自己克服のために勉強をし、東大に入る(理科1類)。入学式直後に、原理研にさそわれ、なんとなく入ってしまう。そのあたりの「ふらふら感」はとてもよく分かる。勉強しか取り柄のない人間が、東大に入ってみて、まわりの連中におびえてしまうのだ。宗教でもなんでもなく、いわば仲間探しが根幹にあることが、正直に書かれていた。

11年もいたのだから、統一教会でいろいろなことを体験している。研修所での修練。学習、伝道、さらに万物復帰(物売り)。万物復帰の論理はこんな風に説かれる。人間が執着するのがお金。だから物を売って、「サタン世界」(堕落した現実世界)から、お金を回収し、そのお金を献金することで、万物を象徴的に神の元に復帰させる・・・というのだ。さらに、21時間ぶっとおしで、「原理講論」の講義を、聴衆を想定し(つまり誰もいない)続ける。要するに壮大なひとりごと。これらすべてを仲間内で競らせる(「信仰の競争」)。韓国での合同結婚式にも参加した。再臨のメシアである教祖文鮮明にも、まみえる。

こう紹介すれば、かなり熱心な会員だと思うだろう。しかし、そこがおもしろいのだが、平凡な存在なのである。次第におちこぼれになり、不満も生まれる。万物復帰では人より劣る。つまり物が売れない。合同結婚式(「祝福」という)の相手も気に入らない。(こんな記述がある。「まず見かけが好みでなかった。そのせいで気分が乗らなかったということもある」)。率直な記述だが、どうも宗教的ではない。しかし、さすが東大生(特権だと私など思うのだが、著者はそれほど気づいていない)、「こんなところにいたくない」とごね、原理研から西ドイツに派遣される(新宗教でもこういう格差がでもあるのだと感心した)。

大学院の試験に落ちたり、世界日報に就職したりさまざまな経過をたどり、結局、いい指導者にめぐり合い、大学院に受かり、そして、次第に脱会というプロセスを辿る。入会動機から脱会にいたるまで、自己救済を求めるという部分がほとんど見えないのも、本書の特色である。だから統一教会への批判もそれほど大きくない。悔恨も反省も同時にそれほど大きくない。醒めているといえばいいのだろうが、あらゆる宗教、組織、イデオロギーもほぼ似たようなものだというような一般的解釈に終始している印象がある。

新興宗教、新宗教に取り付かれてしまった人は(社会的エリートでない人、またそれを捨てようとした人)、生活ぐるみ、家族ぐるみの活動になる。だから、著者のよう比較的平穏に脱会できなくなるのではないか。さらに傷痕も大きい。脱会したオウム真理教信者の回想録をいくつか読んだことがあるが、大分ちがう。

もうひとつ、本書の隠れたテーマは、東京大学である。東大に入学できたことが原理へのきっかけであるし、活動中も、東大生であるがゆえの寛大な処遇、辞めるのも、それゆえにあまり問題なく脱会できる。しかも、大学に就職できる(もちろん、努力は大変なものだったろう)。著者が無意識に頻発する東大という単語。そんなことも考えさせられた。

現代における新しい世代の学問とか信仰について、おもしろい問題を提供している一冊であった。でも、ちょっぴり不思議な感覚も残る(こちらがもう古いのだろ)。なお、ブルーで印刷された本文にも違和感があった。
『歴史学』
ヒューマニティーズ
著者: 佐藤卓己
出版社: 岩波書店
参考税込価格: 1,365円
ISBN-10: 4000283227
ISBN-13: 978-4000283229
4000283227.jpg
歴史の楽しみ方には様々あって良い。が、私は「歴史好き」は須く歴史そのものから何事かを酌み取って欲しいと考える質である。一般に歴史好きと言った場合の「歴史」は歴史物語を指す。司馬遼太郎さんも塩野七生さんも素晴らしいが、作品が歴史そのものでないことは心に留め置かなくてはならない。

極端な話、入口は歴女ブームでも田母神論争でも構わない。しかし折角なら、そこから一歩踏み出し、更に深く歴史を味わう機会にしてもらえたらと思う。これだけ歴史好き、あるいは趣味は読書、を標榜する人の多い日本のことである。それほど無理のある願いではないと信じているのだが如何に?

さはさりながら歴史そのものは巨大かつ複雑なものだ。接近するにも眺めわたすにも相応の作法と手順がいる。それを現在、最も簡明に教えてくれるのが本書である。昔は林健太郎さんの『史学概論』(有斐閣)をお薦めしたが、これからは本書でよい。ソフトカバーで本文141ページ。ブックガイドも充実しており、1300円はたいへんお値打ちと言える。

なぜ本書が分かりやすいかははっきりしている。大きな歴史を取り扱う方法を、著者自身が薬籠中のものとした「メディア史」に引きつけ解説しているからだ。雑誌媒体、終戦記念日や輿論と公論、言論弾圧の問題など、著者の年来の問題関心がツールとして登場し、コンパクトにまとめられている。

たとえば歴史を見る立ち位置について触れた文章は、著者の修士論文のテーマでもあったドイツ社会民主党と、その風刺マンガに材を取る。著者はその視座を「接眼レンズ」という表現で三つに分類し、それぞれ「宣伝」「公共性」「国民化」と名づける。

一見、このテーマ、ないしは現代史に独特の作業に見える分類だが、読み進めるうち、多様な視座で現実に接近するという恐ろしく普遍的な方法を述べていることに気づくはずだ。

「ため息の歴史家になりたい」と副題の付されたあとがきを読み、文学部史学科を出て西洋史を専攻した著者がメディア史に没入した理由を、私なりに理解できた気がする。たしかに喫緊の読書ではなかろう。だが歴史好きを任ずる人の枕頭には置かれてほしい愛すべき小編である。
『1968(上・下)』
若者たちの叛乱とその背景
著者: 小熊英二
出版社: 新曜社
参考税込価格: 各7,140円
ISBN-10: 上:4788511630 下:4788511649
ISBN-13: 上:978-4788511637 下:978-4788511644
4788511630+4788511649.jpg あの1968年とは、いったい何だったのだろうか? ここ数年の間に定年を迎えた、いわゆる「全共闘世代」にとっては気になる一冊だろう。とはいえ、上下2巻でどちらも1000ページを超える大著で、重量も3キロ近くはありそうだ。しかも二冊で14000円を超える販価である。買おうかどうか迷いながら、店頭でページを開いてみた。片手で持つのも辛いくらい重い。目次を見ているうちに、40年前の記憶が様々によみがえってきた。

1,2章を飛ばして、3章の「セクト(上)――その源流から60年安保後の分裂まで」からぱらぱらと読んでみた。研究書とはいうものの、あの時代の異様な熱気が膨大な資料をもとに再現されているようで、目が離せなくなる。筆者は全共闘世代より少し上の世代で、安保闘争の敗北後に大学に入学している。ブントが分裂し、全学連はマル学同の根本仁が委員長だった頃だ。ソ連を訪問した根本の帰朝報告会で、一行がモスクワの赤の広場でビラを配って捕まった話や、参議院の全国区に黒田寛一が立候補し黒メガネ姿で立会演説を聞いたのを思い出し、とうとう途中でやめられなくなってしまった。というようなわけで、取り敢えず上巻を買って帰った。

上巻の副題は「若者たちの叛乱とその背景」。著者は、「あの時代」の若者たちの叛乱を、一過性の風俗現象とはみなしていないという。だからといって、一部の論者が主張するような「世界革命」だったともみなさないと。筆者の当時の実感からいっても、世界革命というのは一部の狂信的なセクトの妄想にすぎないと思っていた。むしろ、現代の若者が抱える「生きづらさ」の端緒を、当時の学生たちが鋭敏に嗅ぎ取って反応したのではないかという、著者の見解には同感だ。

第1章と第2章の、「時代的・世代的背景」では、政治経済的要因と共に、テレビの急速に浸透にともなうマスコミ子ども文化の影響に注目するあたりは新鮮だ。後に紹介される横浜国大闘争の自主講座の講師に、羽仁五郎や山田宗睦らとともに、「現代っ子」の命名者である阿部進や現代子どもセンターの高山英男が呼ばれているのにも合点がいく。全共闘世代というのは、阿部がいうところの現代っ子たちだったのだ。

全共闘世代といっても、当時の大学進学率は16パーセント。甘く見てその4分の1が学園闘争に関わったとしても、同世代中の全共闘体験は4?5パーセント。たまたま体験者がマスコミで発言する機会に恵まれたことから生まれた言葉であって、それをひと括りに全共闘世代というのは不適切だと著者はいう。また、この時代の若者たちの叛乱や全共闘運動は、1967年10月の第一次羽田闘争から始まると通常はみなされてきたが、ここではその前史として、第5章「慶大闘争」、第6章「早大闘争」、第7章「横浜国大闘争・中大闘争」と3章を割いて、後の日大闘争や東大闘争との違いを検証する。とりわけ横浜国大の自主管理と、中大の学生会館闘争による管理運営権の獲得と授業料値上げの白紙撤回を実現したことが、その後の運動に大きな影響を与えた。しかし、大学当局もセクトも教授会もノンセクトの活動家も、先行する学園闘争からほとんど教訓を学んでいなかったことが、全共闘運動が敗北に終わる結果を招いたと著者は指摘する。

上巻は、第一次羽田闘争から王子闘争までの第8章「激動の七ヵ月」、第9章「日大闘争」、第10、11章「東大闘争」と続き、東大闘争には300ページが割かれ、その発端から終息まで詳細にドキュメントされていて読み応えがある。こうなると下巻も読まないわけにはいかない。下巻は「叛乱の終焉とその遺産」が副題で、全国に波及した高校闘争や68年国際反戦デーの新宿騒乱事件、69年の全国全共闘の結成などから始まるが、第15章の「ベ平連」、第16章「連合赤軍」、第17章「リブと「私」」は60年代の総括的な章ともいえる。とりわけ、ブント内の対立から内ゲバやリンチ事件が続き、そういう中から赤軍派が誕生し、ハイジャック事件を経て連合赤軍事件に至るプロセスは示唆的だ。

終章は「結論」。若者たちの叛乱についての、様々な批判や評価が紹介される。そして第14章で描いた「70年代パラダイム」さえも通用しなくなった現代に、1968年の叛乱の意味を投げかけ、そこから今日的にくみ取るべきことは何かを提示する。ともあれ、多様な読み方が可能な大著である。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
著者: 加藤陽子
出版社: 出版社:朝日出版社
参考税込価格: 1,785円
ISBN-10: 4255004854
ISBN-13: 978-4255004853
4255004854.jpg日露戦争が勃発する前のことだ。桂太郎首相が日本では7のつく年に、必ず外国との抗争があったと話した、といううわさが飛び交っていた。明治7年には台湾出兵があり、17年には朝鮮との紛争があり、27年には日清戦争があった。すると37年はいよいよ日露戦争か。ドイツ人医師ベルツが、そう日記に書きつけている。

この予言はみごと的中。さらに言えば、実際には存在しなかった明治47年(大正3年)に、日本は第一次世界大戦に参戦し、その後もさまざまな作戦や謀略を繰り広げていった。大正7年シベリア出兵、昭和3年張作霖爆殺事件、昭和6年満州事変、昭和12年日中戦争。昭和16年太平洋戦争というように。明治以降77年間、日本という国は、ほぼ10年ごとに戦争を繰り返す戦争マシーンだったのである。

太平洋戦争で敗北してから64年間、日本は外国との戦争を経験することなく、平和な経済大国へと変身を遂げたようにみえる。だが、その間、戦争がなかったわけではない。「冷戦」の時代でも、アジアでは朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめとして「熱い戦争」がつづいた。日本がこれらの戦争に直接関与していたら、どうなったか。何だかそら恐ろしい。戦前と戦後は断絶しているようでいて、メビウスの輪のように連続しているようにもみえる。

本書は中高生への5日間の特別講義をまとめたものだ。だが、内容は安易な教訓話に終わらず、どこまでも戦争の論理と結果を考え抜くことに主眼を置いている。著者によれば、戦争では相手への懲罰意識がどこかにはたらいているという。近年の9・11事件でのアメリカの対応も、1937年の盧溝橋事件での日本の対応も、意識のうえではさほどのちがいはない。戦争の根はいつでもどこにでも、ひそんでいるのだ。1928年に当時の列強が集まって不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)が締結された。国際紛争を武力で解決しないという理念に反対する国はない。ところが、戦争は終わるどころか、その後、ますますエスカレートしていった。自衛のため、制裁のためと、戦争に理由はこと欠かないからだ。

戦争絶対反対と叫びつづけることはだいじである。しかし、それでもなぜ戦争はなぜなくならないのか。戦争はどのような歴史的根拠に支えられているのか。侵略被侵略の善悪二元論では、戦争の真実が見えてこないというのが著者の立場である。戦争は社会に大きな変化をもたらす。勝ちが負けにつながり、負けが勝ちにつながることもある。戦争の克服が人類に与えられた大きな課題だとすれば、日本の戦争をふり返る訓練を経て、現代を賢明に選択するための思考方法を身につけてほしいというのが著者の願いであるように思える。

本書を通読して、近代の日本が、いかに勢力圏(領土)の拡大によって、国家の安全と繁栄をはかってきたかを再認識した。国民は「戦争」を支持していたのだ。当時、東アジアの情勢が不安定で流動的だったこともある。しかし、少しタガがはずれれば、戦争は危険な賭けになりかねなかった。冒険は次第に暴走へと転じ、最後に手痛い、というより悲惨なしっぺ返しをくらう。そもそも「帝国」は時限解体装置をかかえた虚飾にほかならなかったのである。

戦争中のさまざまなできごとをみると、日本は人のいのちをたいせつにしない国だったことがわかる。ソ連軍が満州に侵攻してきたときも、関東軍は開拓移民村に何の通報もせず、クモの子を散らすように撤退している。外国人捕虜に対する待遇も劣悪だった。戦地では食糧補給をした前線はひとつもなく、飢えで死んでいった兵士が多かった。国内でも政府は国民に対して、十分に食糧を確保しようと努力した形跡がない。国に身を殉ずべしとする発想は、どこかゆがんだ目的性に縁どられている。いまもその根は残っていると思うのはうがちすぎだろうか。国にタガをはめる仕事はだいじなのだ。
『なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか』
記憶と時間の心理学
著者: ダウエ・ドラーイスマ 訳者: 鈴木晶
出版社: 講談社
参考税込価格: 2,520円
ISBN-10: 4062133210
ISBN-13: 978-4062133210
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本書の著者は、オランダ・グローニンゲン大学の心理学史の教授。2001年に刊行された原著はオランダ語で書かれ、邦訳は04年刊の英訳を元にしている。訳者の鈴木晶氏は、本書を初めて手に取ったとき、そのタイトルに思わず「おお!」と声を出してしまったという。〈ほとんど毎日のように痛感していたことだからである〉(訳者あとがき)。同じく痛感している私も、タイトルを見て思わず手にとった。

記憶は一筋縄ではいかない。例えば1997年8月31日の「ダイアナ元皇太子妃が自動車事故で亡くなった日」、2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件が起きた日」。少なくない人が、「そのニュースを知ったときに、自分がどこで何をしていたか」を思い出せるのではないか(原著は01年刊行で、9・11については書かれていない)。私の場合、ダイアナ元妃の事故死を知ったのは97年9月1日の新聞。仙台で働いていて、まだ人気のない早朝、マンションを出て歩きながら朝刊の見出しが目に飛び込んできた。早朝の空気の感触、間近にあった煉瓦塀の色具合、思わず足を止めたことを思い出せる。このニュースについては見た瞬間のことしか思い出せないが、2001年9月11日、ツインタワーが崩れる映像を見た日については、その映像が流れる少し前の時点まで遡れる。逆に、1997年8月31日の朝のこと、2001年9月10日や12日のことは、もう忘却の彼方である。

「ジョン・レノンが死んだあの日はね…」とほかの人と話したり、たびたび個人的に思い起こして、記憶は忘れ難い物語になっていく。ごく個人的な、思い出すたびに心が痛むような出来事の記憶は、鮮明になる。たとえばいじめを受けた者は、誰からどんなふうにいじめられたかを忘れたくても忘れられないが、いじめたほうは覚えない。どんな事実も徐々に曖昧になり、忘れられていくが、ほかの殆ど記憶に比べると、印象的な出来事は長持ちする。ここで、時間が伸び縮みする。退屈な時間は長く感じても、過ぎ去れば縮む。トーマス・マンは、「時間感覚に関する補説」でこう書いている。〈毎日が完全に同じなら、まるで知らない間に私たちから時間が奪い取られたかのように、長い人生も短く感じられるだろう〉。

だが、人が「私は私だ」と言えるのは、個々人に固有で、時間の伸縮を引き起こす、記憶があってこそなのだ。そして時間は、一概に「年をとると速くなる」わけでもないらしい。1778年、オランダ西部で郵便配達員の子として生まれ、教師になり、「フランス語学校」を設立して80歳まで生きた男の回顧録を、本書は面白く紹介している。男は42歳だった1821年、若く美しい令嬢に恋をし、声もかけられないまま苦しみと悩みの日々を過ごし、1831年に令嬢の結婚を知り、失恋した。男が76歳で書き終えた回顧録は800ページに及び、若い頃の出来事に多くの紙幅が割かれ、年齢を重ねるに従って1年分のページ数が減っていく。ところが、42歳で訪れた恋を綴る段で紙幅が著しく回復する。恋愛に苦しみ悩んだその時期を男が長く感じていたことは間違いなく、そして男の人生で令嬢への愛が薄れていくとともに時間は縮み、1841年から48年までの7年間については、〈語ることはほとんどない〉とたった1文で片づけられていた。それから少し書くことが起きたが、生まれてから4年間の記録がないように、晩年の4年間の記述もないーー。

広範な知識を織り交ぜて、「記憶」という事象を説く。記憶というミステリアスな事象を扱って、ちょっと背筋がひんやりするところもある知的な読み物。記憶と時間はいかんともしがたく、その分人間の奥深さを感じさせられて、楽しく読んだ。

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